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あえて制限がある。
制限があるから、選択がある。
制限がなければ(無制限) 自由はない
制限があるから、その中で自由を見出すことができる
プルシャが無制限であるとすると
プラクリティは制限である
限られた働きを組み合わせることによって 少しずつ境界を作って世界を体験することができる。
プルシャであるとき、体験は不可能。無制限に広がる意識には境を作ることができないから。

Rie

ということを、今日考えていました!
みなさんこんばんは。

最近カルマインドリヤ(行動器官)についてフォーカスしているので、あえて5つの制限を持っている私たち、というところからの考察になります。

そう、私は今 制限がかかっております。肉体的な制限があることによって、いつもの軽やかな体と心は今はありません。無理もできてしまう、私のラジャスな動きは制限を受けてタマス化しており、痛みのある不自由な体とともに家に引きこもっています。

体の制限というのは、部分が大きくても小さくても、かなりマインドに影響を及ぼします。その原因となっているのもまた日々のマインドです。

多少、無理をしたり、頑張ってしまうのも人間。
自分は大丈夫と過信してしまうのも人間。

そういう時に、ちょっと立ち止まって!という感じでそれぞれに症状が現れます。

私の場合、今まで体験したことのなかったジャンルの症状が発生してかなり凹んでいたのですが、

その制限によって、何かができなくなる→する必要がなくなる のです。
制限があることによって、しなくてもよくなる。

悲しかったけど、体はそれを求めていたということ。
ふーん。
痛いけど、そういうこと。

私はじっとしたかんたんですね。

そのまま動き続けたら、違うよーということです。

歩行器官によって自由に歩き回ることや移動すること、やりたいことをスムーズに行うことができない状態。発生器官を自由に使うことができない状態。
移動することも、声を使うこともおやすみです。

エネルギーを充電して、ふさわしい状態になるまで小休止。


最も太陽の時間が短い冬至がもうすぐです。
体内のピッタのエネルギーが乱れ、私には珍しくピッタ様の症状。
冬至を過ぎれば、少しずつ太陽のちからが戻ってきます。

もう少しですね。

みなさんも、寒いので無理せずにお過ごしください!


Rie



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