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こんにちは。
あーゆるNurseのRieです。

先月、今月とお見送りが続いています。お友達が島から出たり、おじいちゃんが旅立ったりと…

季節の変わり目とともに、人生の節目も多いんだなと思います。
自然の移り変わりと、人の流れというのは少なからずリンクしているなと思います。

10月の初めにおじいちゃんが天国へ旅立ちました。
仕事柄、たくさんの人を看取ってきましたが、実は身内が亡くなるのは初めてです。

おじいちゃんは91歳で人生を全うしました。
最期は病院で看取りだったので、おじいちゃんは家に帰ってこれなかったんですよね。コロナの関連で面会も出来なくて、最期まで会えませんでした。
私は会えないことはわかっていたので、在宅看取りを提案しましたが、家族と意見が合わず、在宅看取りはしませんでした。(訪問看護、往診医、訪問看護などのサービスを使って、家で家族を看取ることが可能です。ご参考に)

ここ数年のコロナ関連の面会制限には思うことがたくさんあります。

本来ならば、看取りが近い時って、家族が付き添いをしたりとかするんですよね。場所は病院でも、家族が寄り添っている方が、患者側も安心するはず。

現在の制度になると、孤独に入院して、死ぬまで1人です。

これは、患者側、家族側の心には全然寄り添わないなと思います。

私自身、病院で働いている時に、コロナの面会制限があったんですけど、
やはり最後の時間は一緒に過ごせるように工夫していました。小さな病院でしたが、本人や家族に寄り添っていた病院だと思います。

「上がいうから」「そういうルールだから」とそれに従うことと、
目の前の相手を見て自ら考えていくことは、結果に違いが出ますよね。

今の日本って、前者の方が多くいるなと思います。
だから、今のような社会、海外と日本のコロナに対する過敏性に差があったりするんでしょうね。

それは誰のためにやっていることなのか。


さて、話を戻して。

祖父の死から


現在の私は、元気がないです。
客観的に自分を見ると、
日常生活を送ってはいるけど、心、そして食が明らかに違う。

私の講座でお伝えしていますが、精神面と食欲や食事の好みは影響しあっています。

普段なら、米中心、外食せずに自炊。フルーツなども食べる生活ですが、
通夜葬式、飛行機での移動が続いて、外食やコンビニご飯が続いたところから、自炊とは遠ざかって、パン食、そしてとにかくラーメンとか濃い味が食べたい。

ご飯を自分で作る気力が湧かない。
お腹は空く気がするけど、何が食べたいかわからない。
だから、食べやすいもの、麺類やパンを選んでしまうんでしょうね。

私自身、おじいちゃんの死自体は受け入れてるんですよね。
人が死ぬのは自然なこと。
91歳で老衰。

でも、おじいちゃんはそこにもういない、喪失感があります。

アーユルヴェーダやヨガの考え方では、死は肉体と魂との別れ。
魂は永遠に旅をすると言われています。輪廻転生の考えです。

おじいちゃんの魂は、これからまた次のステージへ進んでいくのでしょう。
肉体を持った91年間の人生を終えて、五感や物質的な制限から解放され本来の姿に戻ったとも考えられます。

でも、残された家族は、触れられる体がないから、目で見て触れておじいちゃんを感じることはできないんですね。喪失感や寂しさがあります。


人は、身近な人の死に直面した時、自分の死を認識するから怖かったり悲しかったりするそうです。
私たちは肉体を持って生きている。そこから魂が離れた時、やはり体はただの物質的なものなんですね。身近な人の死は、生きている尊さと、いつか命が終わるという現実を感じさせます。


私たちは、肉体があるからこそ、五感を通じて人と触れ合うことができます。
声を聞いたり、触れ合ったり、香りを感じたり。

そう考えると、体を使って生きていることの尊さも感じます。

アーユルヴェーダやヨガ、そしてレイキを学んだからこそ、
今回のおじいちゃんの死では、本当にいろんなことを感じています。


私が感じた死後のおじいちゃん

おじいちゃんは、最期の自由がきかなかった体、体のしんどさなどから解放された軽さもあったと思います。自由にどこにでも行ける、お通夜の時はそんな感じがしました。

お葬式の日、
おじいちゃんは改めてこの人生を終えることに向き合っているような感じがしました。そして、火葬されることで、肉体はこの世から無くなります

おじいちゃんは91年共にした自分の体との別れに向き合っているように感じました。(これは、私が感じ取ったことなので絶対そうだとは言い切れませんが、そう感じました。)

おじいちゃんの宗派では、死後7日ずつ、あの世へ行くための勉強をしていくということでした。葬儀の日は、最初の別れのステップなんだろうなと思いました。


改めて、生きること

私を身近に感じたからこそ、1日1日生きることの大切さを感じます。
この体を持って生きることにも感謝です。
体、そして五感を通して私たちはいろんなことを感じて、経験しています。
心はこんなふうに、いろんなことを感じては感情を動かしています。
空気が冷たかったり、人と話して心が温まったり、キャッチできることの多くにも感謝できます。

感じることをしっかりと感じて、そして大切に死ぬまで生きること。


いろんなことを感じたうちにnoteに残しました。
まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。









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