[第1回] コトノハ
1年とほんの少し。そして、0日。
「何が?」そう思う人がほとんどであろう。…ほとんど、いや。きっと、おそらく、多分。そんな曖昧な単語のセーフティーネットを幾ら敷いたところで他者に対しても自己に対しても何の意味はないのだが。要するに99.999%の確証と、0.0001%の僅かな不安の中、「全員が」何が、1年とほんの少しなのだろう、という疑問を抱くだろうと私は思っている。
そもそも、そうは言いつつも。このページに辿り着いた人間がこの広い地球の中に、一体何人いるのかは疑問ではある。もしかすると、誰もいないかもしれない。否、きっと、誰も居ないと思う。…嗚呼、また「きっと」だなんて自己保身の為の単語を吐く。どうやらその言葉は口癖のようだと今気づいた。もしも。こんな面白くも文才もない、ただの一般人の戯言のページにたどり着いてしまった迷える子猫ちゃんがいるのだとしたら私は素直に「有難う」と言えるだろうか。「もう少し読んでいって欲しいな」と伝えられるだろうか。
誰も居ないと思う。そう言いつつパソコンのキーボードを叩く事を止めはしないその一般人について、少し明かしてみようと思う。興味があって覗いてくれた酔狂者も、たまたま迷い込んでしまった子猫ちゃんも、もし少しだけ暇があるのならば読んでいって欲しい。…素直にそう言えた私は、いつかよりも少し成長した気がする。
川島理愛。初めての教室なんかでは、よく読み違えられた私の名前は「リア」でも「リナ」でもない。理科を愛する、と書いて「リエ」と読む。あいにく、理科は一番と言っていいほどの苦手教科であるのだが。
「読めない、と言われる」と子供の頃の私は、名をつけた両親に対し何度か不満を口にした事がある。そんな私に、父はしれっとした顔で「愛媛県(えひめけん)の『え』は『愛』って書くんだから、ちゃんと読める字」だと放った。当時の私は、ぐうの音も出なかった。確かに父の言い分は間違いではない。それ以来、私は読みを間違われる度に、自己の名前の話題になる度にその父の台詞を反芻して、「納得したんですけど、でも初見じゃ読めないですよね」と笑い話にしている。それを聞いた人達はみな、やっぱり父の言い分に「確かに」という一言と、ぐうの音も出ない表情を浮かべている。しかし何度も訂正する人生は、少しばかり面倒である。しかしもう半分は、慣れたものだという感想だ。…呆れたようにそうは言いつつ、まだ幼かったあの日の私が、星とハートという小学生が多様しがちな絵文字の両方を思い浮かべる漢字の名前を気に入っていたというのは些か悔しいので、両親に伝えた事はない。
名前の話題だけでこんなにも尺を取ってしまったので後は簡潔に述べようではないか。大阪府の辺鄙な場所で生まれ育ち、一度も大阪以外で暮らした事のない根っからの大阪人。趣味は読書、小説執筆、鉛筆画、写真、音楽、美容、料理…つくづく指折り数えていくと実に自分が多趣味なのだと実感するが、つまり簡単に括ると「芸術」が好きなのだろう。そんな多くの趣味たちの中でも私という人間を代表するものが「ジャニーズ」である。もはや趣味の域を超えて生き甲斐と言っても過言ではない。私を思い浮かべた時に、果たして何割の友人がアイデンティティとして真っ先にその有名芸能事務所の名前を挙げるだろうか。
元々日本語が好きだったし、文章が好きだった。読むのも好きで、所謂活字中毒。小学校低学年の頃は高学年向けの課題図書を読み、中学年の頃には中学生向けの課題図書を読み、高学年の頃には大人向けの一般文芸を読む、そんな少しばかりませた子供であった。中学生になる頃には授業の殆どの時間を読書に費やした。毎日、1日辺り文庫本を2~3冊消費していた。気分によって読む本が違ったから、常に4~5冊の本を持ち歩いていた。朝の読書タイムには本を忘れた友人たちが挙って私の机に集まっていた事が懐かしい。それほどまでに読書家だった私はいつしか書く方へも興味が向いた。趣味の量を見れば恐らく多くの人間が察知するであろうが、私は簡単に多方面に興味をそそられてしまう安易な人間なのだ。小学三年生の国語の授業。物語を書きましょう、と茶髪ショートの聡明で爽やかを絵に描いたような担任が言った。教室中を埋め尽くす黒い小さな頭たちはノートに1~2ページの作品を書いて次々に教壇へ提出していったが、一向に私は書き終わらなかった。何故なら、提出する事にはそれは20ページを超える大作になっていたからだ。男女の幼馴染が街を冒険する、絵本のような内容だった。それが、私の最初の「創作」であったのだと思う。当時のそれは到底執筆などという大それたものではなかったが、今の私を造る大きなきっかけになった事だけは否定できない。よくある小学生の日記。「3ページ以上書きましょう」そんな定型文は宿題プリントや連絡帳に記されるものの、「〇ページ以下に纏めましょう」という文章はなかった。友人たちが、教師から科されたノルマにひいひい言いながら、句読点をこれでもかという程多様してやっと文字数に達させる横で、私はノルマの8倍近い量の文字数で提出するのが常だった。それから数年。私は鉛筆とノートではなく、ネットという場に異世界転生を果たして本格的にブログを書き始め、パソコンで小説を書く事が趣味となるのだが、その経緯についてはまた今度語ろうではないか。
そんな私が、2020年ももう4分の1が過ぎて温かくなりはじめたこのタイミングで「note」というツールを使い、エッセイを書くに至った理由。それが冒頭の「1年とほんの少し」に繋がる。そしてそれは、私という人間を構成するに多大な影響を与えた「ジャニーズ事務所」にも繋がる。文字数ももう2000字を超えて、やっと点と点が線になりはじめるのだ。相変わらず長ったらしい文章を書く事だけには長けている。
初回の更新である今回は、そんな「理由」について綴ろうと思う。
「1年とほんの少し」なのは、私の好きなアイドルがローカル誌で「アトリエの前で」というタイトルのエッセイ連載を持つようになって、1年とほんの少し。因みに言うとほんの少し、はおそらく皆が思っている以上にほんの少し…ただの数日である。世間が思い浮かべる「ジャニーズアイドル」とは少しかけ離れている彼の事が好きだった。彼の特異な世界観が好きだった。理想のデートを聞かれた時に「人形浄瑠璃を観たあとに二人で心中」等と答えるアイドルが他にいるだろうか。「キラッキラの真っ赤な衣装を着た、ロン毛を染めている、程よくチャラい、甘い顔で甘いことを言う、アイドルグループのセンターになること」を夢見た松村北斗という人間は「真っ黒な衣装を着た、真っ黒な髪で少々きついこと言うアイドルグループの端」としてSixTONESというグループで今年CDデビューした。
「0日」なのは、私の好きなアイドルが各月発行しているエンタメ誌で「#阿部亮平研究室」というタイトルの連載を持つようになって、0日。そう、今日彼の連載ははじまった。彼のアイドル像は、上記の松村北斗くんとは違い「ニコニコとした笑顔を振りまく典型的なアイドル」かもしれない。しかし彼は「ジャニーズ初・大学院卒」の肩書を手にし、「ジャニーズ初・気象予報士」の肩書を手にしている。そしてそれを盾と剣にし、クイズ界に飛び出した。自分で言うが、私は昔勉強が出来た。しかしそれを投げ捨てて10年が過ぎた。勉強がストレス発散であると語る彼は、常に笑顔を絶やさず誰にでも優しい彼は、文系が苦手で理数が得意なのだと語る彼は私とは根底から真逆な人間だ。共通している部分を探す方が難しい。そんな彼もまた、Snow Manというグループで今年、SixTONESと同日CDデビューを果たした。
主な理由はこの2つであるが、敢えてそこにもう一つ理由を付け加えるとすれば、そんな2人とはさらに違う、今年29歳になった彼の誕生日当日なのだ。2011年にKis-My-Ft2というグループの末っ子としてCDデビューを果たした千賀健永という人間が、この世に生を受けた日である今日。私はひっそりとケーキに彼のメンバーカラーである青のロウソクを立てて、ささやかながら人並みのお祝いをした。
簡単に様々な事に左右される私は、そんなたまたまなのか奇跡なのか運命なのか分からない何かが重なった2020年3月23日に、エッセイを書き出す事を決めた。この先何を語るかなんて1ミリも決めていない。ただ、無性に書きたくなったのだ。自分の想いは、未来の自分ですら忘れ去る。そんな今の私の感情や、捉え方や、想いを、私の好きな日本語という手段を遣って遺してみたくなったのだ。いつか私が私を失う日に、読み返せるよう。いつか私が消え去った世界に、私が活きた証を残せるように。愛してやまない日本語を職に出来れば万々歳。今のところ、そんな目途は立っていない。ただしかし、敢えて言うといちヲタクとして稼働しているアカウントでのフォロワーがここ1年と少しで果てしなく増えた事は私の中で有難い事であり、やはり私は日本語で想いを紡ぐ事が好きなのだという再確認をした事由である。そして、そんないちヲタクの文章にすら感謝の意を伝えてくれる人が止まない事で、ほんの少しの自信がついた事は内緒にしておく。
言葉は甘美に人を救う事が出来るけれど、それと同時に惨酷に人を傷つけ殺す事も出来る。この世に生を受ければ誰しもが持つ事のできる「言葉」というツールは、使い方次第で真逆の結末を出す事が出来るのだ。特に日本語とは非常に難解で、ややこしく、まどろっこしい存在だ。誰も悪くないシステムエラーで自分の意図した方向とは真逆の方へ舵を切ってしまう事もある。自覚なく、言葉のナイフで人を突き刺し失血死させてしまう事もある。桜は散るから美しいのだと誰かが言っていた。儚いものにこそ美を見出すのは日本人の特性なのか、人間の本能なのか。そんな難しい日本語を扱い切る自信は正直言って、ない。ただ私は何色にでも染まる魔法のようなツールを使って誰かの心を動かしたい。人生の一部に、図々しく存在していたい。空気を、ほんの少しでもいいから切り裂いてみたい。そんな夢の為の、noteだ。
Photo...かげふみ(@kalimantan7)