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[第6回]欲しかったランドセル、背負ったランドセル。

沢山の出会いと別れを見守ってきた、どっしりとしたアーチ。白くて、桃色の桜がひらひらりと舞う中小さな身体には多少大きすぎて不似合いなランドセルを背負って、これから始まる学校生活に胸を弾ませる。「入学」にはそんなイメージがあるが、実際問題入学の時期には桜はもう咲いていなかったりもする。


わたしは先日、あるツイートを見かけた。かいつまむならば「緑のランドセルを欲しがっている娘に、赤のランドセルを強要した姑と夫」の話であった。タイムラインに流れてきた数多もの文章たちを、適当に指でスワイプしながら流し読みしていた中、わたしの手が止まった。刹那、小さなわたしが脳内に帰ってきた。あの頃の自分の気持ちを、やっと言葉で表現できるようになっていた。黙りこくったわたしからは、成長していた。


家から20分ほどにある、巨大ショッピングモール。今その場所は、ただの広大な更地と化している。中心には幾つも店が並んだフードコートがあって、そこでよくソフトクリームを食べていた記憶がある。爽やかなのに甘ったるい不思議なキウイのソースがかかったものにしようか、それとも目を引く真っ赤なストロベリーにしようか。だけど、幼心にカラフルなチョコレートスプレーも捨てがたかった。アレがチョコレートでできている事を当時は知らなかった。

「小学校に入学する」というのは、子どもにとっても親にとっても、そして祖父母にとっても大騒ぎな1大イベントだ。体操服に近い制服だった幼稚園の制服から、ブラウスにプリーツスカートというきちんとした正装である制服へ変化する。義務教育がはじまる。3つの幼稚園と保育園が集まるのだから、生徒も圧倒的に増える。そんな中、親と祖父母がなによりも楽しみにしているのは「子どもがランドセルを背負った姿を見ること」であろう。毎日見ている子でも、その瞬間に成長をありありと突きつけられ、再確認できるのだから。


わたしは母方の祖母に連れられ、母と共にそのショッピングモールを訪れた。祖母宅から近いそこへ向かったお目当ては無論、ランドセルだ。フードコートを横目に「今日もソフトクリーム食べられるかなあ、クレープもいいなあ」なんて思いながら、その先に並ぶランドセル売り場を見つけるとやはり胸が高鳴った。ランドセルはいわばアイデンティティだ。6年間背負い続けるその「個人の証」を選ぶワクワク感は、子どもには相当なものだろう。身長よりもはるかに高いそびえたつような棚には幾つもランドセルが並べられ、時々そこに細長い姿見が立っている。わたしの年代といえば、ちょうど小学生の背中がカラフルに色づき始めた時期である。そこには定番の赤、黒だけではなくパープル、グリーン、ピンク、ライトブルー、…。紫陽花の花壇のように綺麗だった。そんな中、わたしが気に入ったのは綺麗な艶を残しながらも少しマットめなキャメル色の、6歳児が選ぶには少々背伸びをした色のランドセルだった。

「これがいい」

だけどそんな言葉は"昭和人間"な母と祖母には通用しない。

「何いうてんの、女の子は赤色やろ?」

取り付く島もないとはこの事だ。1+1=2でしょう、そんな当たり前の顔である。確かに、女子は赤色・男子は黒色のランドセルを背負う様子は幾度となくテレビなどで目にしてきた。だが、目の前にはこんなにもカラフルなランドセルが並んでいる。幼稚園児の頃、違う色を背負った子は目立っていてとてもかっこよく見えた。小さな子の、陳腐な言葉で言うならば「トクベツでカッコいい」。しかし悲しいかな、それは頑固な昭和人間からすると「浮いていて恥ずかしい変わった子」に変化してしまうのだ。

「そんな色、みんなの中でおったら浮くよ」「やっぱり恥ずかしい、って後悔するねんからやめとき」

何度か訴えたものの、大人2人にそんなに反対されては子ども心に諦めという感情も抱く。自分で言うが、わたしは聞き分けのいい子どもだった。

「…じゃあ、これがいい」

祖母と母から課せられた「赤色のランドセル」という絶対に曲げられないダンジョンの中から自らが見出した答えは、「横型のランドセル」だった。皆と同じ赤色のランドセルでも、ノーマルな縦に四角いものじゃない。長方形の、横型の、当時の私立に通う高校生がよく持っているような学生バッグをイメージさせる、それ。わたしにはお洒落に見えた。大人びて見えた。横型に広いので、ものの取り出しもしやすい。人とは少し違う。だけど、頑固な昭和人間はどこまでいっても頑固な昭和人間なのだ。田舎だから、尚更である。

「なんでそんな変な形の選ぶん、普通のやつにしい」

必死で出した答えは、秒速却下。彼女たちが思い描いているもの以外のデザインは、考える余地すらないのだろう。とどのつまり、「選びなさい」と連れられてきたものの、それは6歳児にはよくわからない「ブランド」や「値段」、「多少のポケットやボタンやサイズの差異」を選びなさい、という意味であって、決して好きな形色味を選びなさいという意味ではなかったのだ。

「ほら、こんなんかわいいよ」

持ってこられたのは、特段好きではないキャラクターのデザインのものだった。表のボタンにはそのキャラクターが座っていて、蓋の内側にはかわいいイラスト。ポケットの表には名前などを書く紙がビニールの向こうに挟まっていて、そこにもかわいいリボンをつけたそれが鎮座していた。いまも昔も、別にそのキャラクターが嫌いなわけではない。ただ当時のわたしは「大人ぶりたい」時期だった。そんなわたしからすると、抱く感情は「子どもぽいデザインだな」だった。いや、十分子どもなのだが。

「可愛いけど、可愛すぎるやん」

大人からすれば、大人ぶりたい子どもの気持ちは分からないのだろうか。返ってきた答えは「可愛いならいいやん」。

ちがう、そうじゃない。だけどその当時のわたしには、この気持ちを説明するだけの言葉を持ち合わせていなかった。ちがうねん、そう言うことしかできなかった。それに対して、「何が違うんよ、分からへんわ」としか返せない祖母と母。分からないならこちらの好みを汲んでくれ、と思いながらもその願いは決して叶わない。

きっと、祖母と母に悪気はない。単純に「クラスメイトから浮く」ことを心配し、「飽きたり後悔する」ことを危惧し、「かわいいもの」を勧めていたのだろう。別に、祖母や母が特段そのキャラクターを好きというわけではなかったと思うが、古い人間からすればそれがきっと「最新のカワイイ」だったのだろう。次から次へと、これは?と持ってくる候補も、そのキャラクターだった。それを当時のわたしは「このキャラクターのものならきっと納得してくれるんだ」と解釈して、必死に売り場を探し回り、「横型の"その"キャラクターのランドセル」を探し出した。折衷案のつもりだった。

「これやったらいい?」

横型=大人びたデザイン、というわたしのイメージ通りだったのか、そこに印刷されていた"そのキャラクター"は少し落ち着いた色味の、洒落たタッチのものだった。

「だから、横型あかんって。ほら、みんな縦ばっかやのにあんただけ横やったら変やろ?あとになってからやっぱり嫌やとか言うても無理なんやから普通のにしとき」

それから大人2人による必死の説得が始まった。赤以外を選ぶこと、ノーマル以外を選ぶことのデメリット。赤を選ぶこと、ノーマルを選ぶことのメリット、そのキャラクターがいかにかわいらしいのか。大阪のおばちゃんというのは何故にああも我が強いのだろう。言葉を知らない、ただのそこらへんを走り回っている6歳児はその勢いには勝てなかった。半ば、諦めた。子どもは、疲れるのも早いのだ。


クラスメイトには、デニム生地のようなデザインの子、綺麗な藤色の子(名前に掛けたのだろうか)、広い広い雲一つない青空みたいな水色の子、…今の子ほどではないが、バリエーションに富んでいた。単純に、うらやましかった。いいなあ、そう思いながらいつも教室のロッカーを眺めていた。

結局、その気持ちは卒業まで変わらなかった。卒業しても変わらなかった。

却下されてきた数々のデザインへの未練。自分で望んだのであろうカラフルなランドセルを背負う、好きなものを毎日背負えるその子への羨望。それらは23歳になっても変わらず、テレビのCMやネット、店頭でどんどん進化していくランドセルを見る度にぼうっと当時の気持ちを思い出す。あのランドセル売り場が、必死に説得する2人の顔が、頭に焼き付いて離れない。

5歳下の妹が、ピンクのランドセルを当たり前のように買ってもらっているのを目の当たりにした時、唇を噛んだ。いつもそうだ。「そんなもの履いたら足が変な形になる」と高学年になるまで許されなかった先のとがったミュール、「歩きづらい」と同じく高学年になるまで許されなかったブーツ、「そんな派手な」と買ってもらえなかったヘアゴムにコサージュ。妹は、「欲しがるから」「あんたが履いてるのにあの子だけ禁止できひんやろ」といつも許されてきた。買い与えられてきた。それが、悔しかった。いつも解禁は同時で、つまり妹は5年も早くデビューできるわけで。「わたしはこの年まであかんかったのになんでなん、せこいやん」と言い続けていた。


無論、お金を出すのは祖母である。子役でもない田舎の一般の6歳児が自分で稼いでそのお金で買うわけではない。なのだから、押し付けられても仕方がないというのならばそれまでだ。ならば、最初から売り場で選ばせる真似事なんてしないでくれとは思うが。

だけど、わたしがこんなにも"ランドセル事件"を引きずっている理由はきっと「好きなデザインを6年間背負えなかったから」ではない。勿論、それもあるだろう。だけど、きっと違う。


根底は「自分の選んだもの、それも折衷案まで含んだものすら総て却下されて、大人の好みを押し付けられることへの嫌悪感」だ。

「自らの主張や意見を、ただの決めつけと主観でしりぞけられる事への嫌悪感と、悔しさ」だ。


そして、それをきちんと説明するだけの術を持ち合わせていなかった自分への何とも言えないもどかしさ。どこを掻いたらおさまるのか分からない、もやもや。それが、今になってもわたしが引きずり続けている理由だろう。身体も、脳も、語彙も幼かったわたしも、そういった感情だけは一人前だったということだ。

羨望感・後悔・未練・・・そういったものもあるが、実際に「毎日それを背負って登校するわたし自身の気持ち」を蔑ろにされたのだ、そういうものは一切考えてくれなかったのだ、という事が悲しかった。きっとわたしが、身内はじめ様々な人に抱えている「あの時こうしてくれなかった」というエピソードは、エピソード自体に主体があるわけではなく、そういった「わたしを蔑ろにされた」という心情的な部分ゆえ、なのだろう。

わたしは基本的に「長女だから」という理由と「パパとママは昔の人だから分からなかった」という今になって告げられる後付けの理由で、主張を理解してもらえなかった事が多いように感じる。被害妄想というならばそれまでだが、わたしで学び、妹にそれを活かす。わたしは練習台か、と思ったこともある。わたしだってきちんと感情を持ち、生きている人間だ、と主張したこともある。当たり前のことだが。

人は良かれと思って人を否定したり、自分の好みを強いるときがある。親と子、ならば余計にだ。だけどそれは、目先のモノだけではなくその人自身、子自身の本質というもの自体をも否定していることに繋がっている可能性も孕んでいるのだという事を、頭に入れておきたいものだ。いい大人ならともかく、子どもは「理屈」があってもそれを説明するだけの「言葉」を持ち合わせていない。


さもなければ。深夜3:00。23歳にもなって、6歳の頃の愚痴をぐだぐだと5000字足らずも使って書き綴るようなしょうもない人間に育ちかねないのだよ。未来、子どもの、孫のランドセルを買うことになるであろう自分へ。それを、よく頭に刻み込んでおけ。

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