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【第10回】探せない13月。

大晦日、という単語を聞くだけで否が応でも年越しそばの匂いと除夜の鐘の音が頭の中にリフレインし、何故か独特の寒さと空気に包まれる。思い浮かぶのは何故か紅白歌合戦が終わって、ニュースに切り替わった時のあの光景。もう十数年、紅白が終焉を迎えると同時に慌ててチャンネルを切り替えるのでその画面を見る事はないのだが、何故か頭に浮かぶのはそれだ。

大晦日。遥か彼方未来に思えた2020年が終わりを告げようとしている。少し前は、2020年なんてかなり先の話で、きっと色々な事が変わっていると思っていた。それは思ったよりも直ぐに訪れて、去っていった。嵐が嵐を終えようとしている頃、家の外では物理的な嵐が巻き起こっている。流石だな、いつも通りだな、なんて思いながら。

2020年という一年は、様々な人が想定した年とはかけ離れた月日を巡っただろう。まさかこんな一年になるだなんて思わなかった。2020。という数字は非常に大切なもので、大きなものだった私には、こんな呆気なく秒速で過ぎ去ってしまうものだとも、消し去りたい……いや、やり直したい一年になるとも思っていなかった。正直、2020年を全速力で駆け抜けた気が微塵もしないのだ。どこか夢を見ているようなそんな気分とでも言おうか。これからまた、新たな2020年がやってくるような気が、何処かしているのだ。

この一年、何もなかったわけじゃない。寧ろ様々な事由があった。あり得ない程大きな出来事が世界中を巻き込み、大恐慌に陥った。だが然し、大恐慌に陥ったが故に、何もしないで終わった、というのが正しいだろうか。

ステイホームという言葉が急激に世間に広まったが故に、家にいる事が多く、外出する事が減った。友人と遊ぶ機会も減り、コンサートや舞台等の現場へ出かける事も減った、というより殆どなくなった。実のところ2月~11月まで、一度も現場は無かったのだ。全て中止になった。毎年夏に決まった友人と向かうツアーもなかったし、花火も祭りも何もなかった。外出というのはこんなにも人間の精神の平衡を保っているのだと、引きこもりのわたしさえも感じざるを得なくなった。逆に言えば、ふとした外出すら幸せだったのだ、と体感せざるを得ない学びの一年になったとも言える。

唐突であるがわたしは正直さほどスポーツというものに興味がないし、五輪にも興味はない。だけど、2020年の東京五輪というのは楽しみにしていた節があった、と今になって気づく。それはきっとわたしの指針となる根幹の部分にずっといる人が、東京五輪を楽しみに、大切にしていたからだ。幾年前からずっと楽しみにしていた五輪を観る事なく、彼は去年散った。けれど、五輪は無事に開催されて、「空から観てるかなあ」なんて言うはずだった。言うことは、出来なくなった。こんな世界の渦中にいるくらいならば、ある意味去年逝ったというのは幸せだったのかもしれないとさえ思う。夢を抱いたまま空を飛べたというのは幸せだったのかもしれないとさえ思う。

そんな彼の代わりに、というと烏滸がましいけれど、彼が楽しみにしていた五輪と、そしてそれに合わせた彼の子どもたちの活躍をわたしは見届けるはずだったのだけれど、そうもいかなくなってしまった現実は思っていたよりも辛い。


「13月を探しにいきませんか」

そう言うと、大体は「あるわけないでしょう」「馬鹿か、ねえよ」とマジレスされてしまうのだけれど、伝わる人には伝わる。彼は、13月を探していたのだから。帝国劇場という場所で13月を探し求めた。

それはあくまでわたしたちにとっていつも舞台中の出来事だったけれど、今年になって初めて本気で「13月は何処にあるのだろう」と模索したくなる。もしも見つかるのならば、探したい。正直、2020年という一年をやりきった感覚は全くないし、2020年という一年には微塵も満足していない。夜更かししたくなるのは一日に満足できていないからだ、なんていう話を聞いたことがあるけれど、それと同じで、2020年という一年に満足できていないから夜更かしして、2021年を迎えることを先延ばしにしたくなってしまうのだ。

だけど、現実的にそれは不可能だ。2020年は終わってしまうし、2021年は来てしまうし、12月31日という日はいつものように23:59を持って終わってしまうし、12月32日という日は来ないし、明日は1月1日だし、今日を終えると2020年も終わってしまうし、嵐も活動休止に入ってしまう。

わたしにとってこれほど苦しい事があるだろうか。こんなにも終わってほしくないと思う年があるだろうか。唯一楽しみにしていた来年正月のコンサートも、案の定中止が発表された。当然である。アナウンスが無ければ無いで、「正気か?本当にやるのか?」と心配していたにも関わらず、いざアナウンスされると虚無に襲われ、楽しみは消え失せる。人間の心と頭は難しく、一致しない。

もうすぐ紅白歌合戦が始まる。30分だけ観た後、わたしは嵐のラストライブを観る。二年間積み重ねてきたはずの覚悟は、微塵も覚悟なんてものではなく、意味なんてない。結局わたしは終わりをイマイチ実感しないまま今日を迎え、明日も迎えるのだろう。それを実感する日はいつなのだろう。

また、今年が終わる。新しい一年が幕を開ける。13月はどんなに探してもやってこない。2020年は終わってしまう。目いっぱい胸に抱いて有難うと言える年ではなかった事が悲しい。だけど、時は取り戻せないのだ。13月を探すこともできないのだ。サヨナラ。来年が少しでも、いい一年になるように。


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