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[第2回]生まれた時にはそこにあったもの。無くなるはずがないと思っていたもの。

わたしには、青天の霹靂だった。

歩いていける程……とは言えないものの、それなりに近所である小さな田舎の遊園地が、閉園するというニュースを耳にした。それは、私が初めて己で酸素を肺に取り込み、おぎゃあと泣いたあの日よりも40年ほど前からそこにあった。いわば町をずっと見守り続けてきた存在である。

ジェットコースター、ブランコ、観覧車、ゴーカート、急流すべり。そんな「遊園地」と言われれば誰もが思い浮かべるようなありきたりな遊具がちゃちながらも立ち並び、猿山やらキリンやら象やらという、「動物園」と言われれば誰もが思い浮かべるようなありきたりな動物たちが鳴き声を上げ、イルカやアシカやアザラシやペンギンやらという、「水族館」と言われれば誰もが思い浮かべるようなありきたりな動物たちが優雅に泳いでいる。春になれば桜の下で皆がレジャーシートを敷き、夏になればプールの中にはぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れないほどの家族であふれかえる。年がら年中特設ステージではヒーローたちが悪者と戦い、子供たちは声援を送り、その後に握手会やらサイン会が行われる。公園の1歩外に出れば、夕陽の綺麗な磯の香りの強い海岸がある。そんな、田舎の平和で平凡な、しかし行けば何でも揃っている都市公園だった。おそらく、私を含むここいら一帯の幼稚園やら小学校やらに通っていた人たちはみな、一度は遠足で訪れた事があるだろう。府中、ないしは近隣県に住む人たちはみな、一度は親に連れられて遊びにきた思い出を抱えているだろう。少なくとも、わたしが接してきた人たちの中に訪れた事がないという人は聞いた事がなかったし、町名を伝えられたところで頭の上に3つほどはてなマークを浮かべる人たちもみな、その公園の名称を伝えると「ああ、あそこか」と合点のいった顔をする。田舎の小さな遊園地だったが、それほどまでに浸透しているそれなりには有名な場所だった。関西出身であるジャニーズタレントがブログでその名を出した時には、わたしは嬉しさに思わずスクリーンショットをとったのを憶えている。そのタレントもまた、いっぱしの「関西人だった」ということだ。

最寄りの駅名にもなっているその公園は誰しもにとって「そこに在って当然のもの」になっていた。生まれた頃にはそこにあって、ともに生活をした。いつしかそれは日常と化していて、いつの間にかその存在を気にする事もなくなった。それは決して軽視しているわけじゃない。それほどまでに私の中の生活には欠かせないものであったということだ。そんな当たり前が覆る事を突きつけられたのが、昨年春のことだった。

「施設の運営に伴う累積赤字の増加傾向に歯止めが掛からず」。そんな、様々な場所で耳にしてきた遠いありきたりな文章が、自分のすぐ隣で起こっていたのだ。無論それだけ近くにいた私なのだから、運営状況は携わらずともそれなりに理解していた。ゴールデンウイークや夏休みこそ駐車場は満タン、近所のコインパーキングまで溢れかえり、入る事のできない車が片側一車線しかない細い道路を塞ぎ、渋滞を巻き起こしていた。休み期間にその国道を使うときは、絶対に普段よりも早めに家を出ないと大変な目に遭う、というのは地元民の鉄則だった。しかし平日になろうものなら、だだっ広い駐車場に止まっている従業員以外の車を見つける方が大変なほどの閑古鳥。つまり、波が激しすぎたのだ。アクセスの悪い田舎の遊園地。アクセスの悪い田舎に人を呼び込むための遊園地が、そのアクセスの悪さに足を取られた結果である。まさに策士策に溺れる。それに付け加え、平成30年台風20号の影響で、この公園に人を呼び込む大きなきっかけとなっていたプールランドのウォータースライダーに亀裂が入るという大損害。それは結局修理される事もなく、客足を遠のけることに拍車がかかった。そろそろやばい。おそらく地元の人間誰しもが感じていた。だけどそれとは同時に、無くなるはずがない。そんなありもしない謎の自信があったのだとも思う。


人間というものはつくづく馬鹿な生き物だ、と思う。幾ら学んだつもりでも少しすれば安易にその時の寂しさや、悲しさや後悔を忘れ去ってしまう。無論それが総てだなんて言わない。人間は、成長する生き物だ。だけど、「当たり前」と化してしまった事由に関しては結局そこに慣れが生じてしまい、それが実は「当たり前」ではないのだという事を忘れてしまう。それは、私も例外ではない。何度後悔してきただろうか。ついつい後回しにして後悔する事を、何度経験してきただろうか。「当たり前」に感謝するという事は、簡単なようであり非常に難解だ。

「いただきます」。日本人が当然のように食事をする前に手を合わせて呟く言葉。だけど、そこに「草木・動物の命を頂いて自らが生きている」のだという事を自覚し、今、目の前に盛り付けられた料理へと変貌したなにかを「頂く」のだという真意を毎度考える人は何パーセントなのだろうか。99%以上の人間が、日々のただのルーティンとしてその言葉を呟いているに過ぎないだろう。

今、この文章を読むのに使っているその機械だっていつまで無事かは分からない。明日壊れるかもしれないし、盗難に遭うかもしれない。今日話した友人、恋人、家族がいつまでそこに居るかは分からない。今の「日常」を構成しているすべての物は、者は、いつ、どんなタイミングで自分の元から失われてもおかしくないのだという可能性であり危険性とともに、常に人間は隣り合わせで生きている。勿論、すべてに感謝してすべてにありがたみを感じながら日々を過ごすというのは難しい。だけど、ほんの少しでいい。時々でいい。今の日常が日常ではなくなったその先を想像してみないか?今の当たり前が当たり前ではないのだという事を、実感してみやしないだろうか。


日々是気付。これは、国民的アイドルが東日本大震災のあった2011年から去年まで続けてきたチャリティーイベントのテーマとして掲げられた事のある言葉だ。ひびこれきづき、と読む。あの日、震災被害に遭った全員にとっての日常は日常でなくなった。この言葉の意味を簡単に説明すると、一日一日をなんとなく過ごすのではなく、見逃してしまいがちな小さなことや、季節・自然の移りかわり、人の表情やしぐさから何を求めているのかを気づけるような生き方をしよう。という意味だ。日々是好日、という禅語のひとつをもじったものである。風に揺られている道端のたんぽぽも、公園から聞こえてくる子供の笑い声も、がたんごとんと喧しい程の音を立てながら過ぎ去る電車も。隣で本を読む家族も、テレビの中に生きるタレントも、今の私を激しい雨から守ってくれるこの家も。すべて、日常であり日常ではないのだ。


日常でない日常に気付ける日が、それにありがたみを感じられる日が、当然が幸せなのだと思える日が1日でも増えるといいなと思う。私も、貴方も。

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