記事一覧
[第12回]家にいるのに「帰りたい」?
「かえりたい」
人間、大抵の人間が人生の中で一度は口にした事がある言葉だと思う。
学校から帰りたい、仕事から帰りたい。そんな歳と共に課される憂鬱な宿命からとっとと逃げ失せてほっと安堵できる自宅、ないしは趣味に没頭できる自宅へ帰りたい。明るい電気が灯されて好きな人が待っている自宅に帰りたい。目の前でガミガミと口うるさく唾を飛ばす上司や教師から逃れたい。そんな人もいれば、そんなに好きではないなあ、で
[第11回]自己像と理想像 #woofer887
長らく更新が滞っていた。理由はただひとつ。このnoteというツールの仕様が変わり、メールアドレスを認証しなければ記事を作成出来なくなってしまったからである。キャリアメールは一向に届かず、PWは忘れ去った私に打つ手は無かった。が、なんの神の気まぐれなのか、1年届かなかったキャリアメールは、あっさりとPW再登録メールを受信した。バイブレータが煩く鳴り響く。そして私は今に至るという訳だ。
何から書こう
[第9回] 感情ミラーマン
2020年も、最後の月を迎えた12月あたま。毎度毎度、スーパーに流れるジングルベルも、街を彩るイルミネーションも、定番の音楽と同時に流れるフライドチキンのCMも、クリスマスケーキのポスターたちも、数多もの年末大型音楽番組も、年明けを期待させる派手な装飾たちも、痛々しいほどに師走を強調してくる。
去年、年を越したことなんて昨日のことのように覚えているし、その前に年を越したときのことも昨日のことのよ
[第8回]ボーダーライン
チンチロチンチロチンチロリン、なんて虫の音も聞こえてきて、暗くなるとともに一気に気温が下がる。暑い暑い、と言っていた数か月前。今では気づけば両手で身体を抱き「ああ、寒い」なんて独り言を呟く。23年経ってもなお、夏に冬の感覚は思い出せないし逆も然りである。季節の境目。今年は寒暖差も激しく、少しでも油断すれば感染症に限らず体調を崩してしまいそうだ。
さて、今回キーボードを叩くに至るひとつのテーマを思
[第7回]「死にたい」は必ずしも「死にたい」ではない
しとしとと、静かに、だけど音を立てて降る9月も半ばの雨。そう、これを書いているのは9月である。だがしかし、きっと更新されるのはカレンダーをめくった後になっているだろう。何故ならわたしはタイミングを見計らいすぎた結果、更新する時を見失った記事が2つも溜まっているからである。時間帯的な問題だけではなく、いいヘッダーが見当たらなくてタイミングを失っているのも正直なところでもあるが…。わたしは気まぐれなの
もっとみる[第6回]欲しかったランドセル、背負ったランドセル。
沢山の出会いと別れを見守ってきた、どっしりとしたアーチ。白くて、桃色の桜がひらひらりと舞う中小さな身体には多少大きすぎて不似合いなランドセルを背負って、これから始まる学校生活に胸を弾ませる。「入学」にはそんなイメージがあるが、実際問題入学の時期には桜はもう咲いていなかったりもする。
わたしは先日、あるツイートを見かけた。かいつまむならば「緑のランドセルを欲しがっている娘に、赤のランドセルを強要し
[第5回]生まれた日。
子どもの頃はきっと待ち遠しかったのであろう、その日は今のわたしにとって嬉しいものなのか否かは分からない。23年前の今日、わたしは産声を上げた。
15歳の頃のわたしはきっと世間に言う"尖っていた"のかもしれない。それでいて、良くも悪くも人より高い経験値故にどこか達観したような、人よりも一歩後ろで物事を観ているような大人びた節があったのだろう。しかし、人並み・年齢並には"厨二病"でいて、だけど誰より
[第4回]言葉はナイフであり繭である。
日本語。
日本語、言葉の難しさというものは初回の更新で私は僅かながら綴った。
>>言葉は甘美に人を救う事が出来るけれど、それと同時に惨酷に人を傷つけ殺す事も出来る。この世に生を受ければ誰しもが持つ事のできる「言葉」というツールは、使い方次第で真逆の結末を出す事が出来るのだ。特に日本語とは非常に難解で、ややこしく、まどろっこしい存在だ。誰も悪くないシステムエラーで自分の意図した方向とは真逆の方へ
[第3回]「コロナに負けるな」その言葉へ私が抱いた自問自答。
それぞれの国には、国民性というものが存在する。それは時折誉め言葉にもなるし、差別にもなる。ただ、漠然としたイメージとして皆なんとなく「この国の人はこういう考え方だ」とか「あそこの国の人は顔の整った人が多い」とか、それとなく持ち合わせているものだと思う。
日本人はどうだろうか。日本人といえば、働き者で仕事の時間が圧倒的に長い。自己犠牲を美徳とする。観光客に優しい。横並びが好きで、逆に突出する者が好
[第2回]生まれた時にはそこにあったもの。無くなるはずがないと思っていたもの。
わたしには、青天の霹靂だった。
歩いていける程……とは言えないものの、それなりに近所である小さな田舎の遊園地が、閉園するというニュースを耳にした。それは、私が初めて己で酸素を肺に取り込み、おぎゃあと泣いたあの日よりも40年ほど前からそこにあった。いわば町をずっと見守り続けてきた存在である。
ジェットコースター、ブランコ、観覧車、ゴーカート、急流すべり。そんな「遊園地」と言われれば誰もが思い浮か
[第1回] コトノハ
1年とほんの少し。そして、0日。
「何が?」そう思う人がほとんどであろう。…ほとんど、いや。きっと、おそらく、多分。そんな曖昧な単語のセーフティーネットを幾ら敷いたところで他者に対しても自己に対しても何の意味はないのだが。要するに99.999%の確証と、0.0001%の僅かな不安の中、「全員が」何が、1年とほんの少しなのだろう、という疑問を抱くだろうと私は思っている。
そもそも、そうは言いつつ