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2028年8月29日

雨雲が陽の光を遮って、今日は随分と涼しい。
家の窓を全て開け放つ。
風が吹くたび、雨の冷たさが部屋の中に運ばれてくる。

目が覚めた瞬間から、体全体がもやりと重たかった。
ブヨブヨと体が膨れて、輪郭を失っているよう。

息子と夫の出発を見届けて、半時間ほど読書してから、ハッと思い立ちマリコさんのヨガをやってみる。

最近は、ヨガをやることになんとなく罪悪感があった。
私の中で、ヨガは「イコールゆったりのんびり」。

息子が生まれて、家族のリズムが私の生活を形作るようになってからは、そんな悠長なことをすることはなんとなく罪のように思われた。
その時間で、掃除や料理の仕込み、仕事の営業エトセトラ、いくらもやれることはある。

でも、実際はやる気が出なくて、ぼんやりとエックスやインスタグラムを眺めているうちに半日溶けてなくなってしまう…というのが常だった。

だから、ヨガに時間を割いたって、本当ななんら生活に障りがないはず。

17分の、自律神経フルセットというのをやってみる。

くくくっと腕を天に伸ばしながら、マリコ先生の言う通り、背骨の隙間1つ1つに息を送る自分をイメージしてみる。
この瞬間、私の心は自分の体にだけ意識がある。
そのことが、ぼうっと心をほぐしている。

あ、私、こういう時間が圧倒的に足りなかったんだな

マリコ先生の動きに見ようみまねでついていきながら、自分のことがとてつもなく可哀想に思われた。
両腕を前でクロスして背中に手をやり、自分を自分で抱きしめるようなポーズに入ると、自然と心の内側から「ごめん、ごめんね」と申し訳ない気持ちが溢れてきた。

いつもいつも自分は周りに比べて何かが足りないような気がしていた。
車に乗れない自分、息子のイヤイヤに振り回される自分、いつも笑顔でいられない自分、すっかりおしゃれや美容から離れてしまった自分、自分をおざなりにしてしまっている自分、あそこのママは赤ちゃんを育てながらつま先まで綺麗にしている、それに比べて私はどうだ、ボサボサのショートカットを整えもせず、瞼には眉毛が生えて、化粧は日焼け止めだけ、まるで垢抜けない中学生みたいだ、どうしてこうなってしまったんだろう、自分の思い描いていた大人像とはかけ離れてしまっている、適当に器を選んで、これなら息子が食べるだろうかというものばかり作って、じっと黙り込んでご飯を食べる夫の顔色を窺って、

私は?私は?

自分を置き去りにしながら、私はずっとずっと頑張り続けてきた。
それなのに、あれもできていないこれもできていないと自分で自分を貶しつづけて来てしまった。
ごめん、ごめんね。
私は本当によくやっている。
生きていてくれてありがとう。

大の字で目を瞑って深呼吸をし、最後に仕上げの背伸びをしてヨガは終わった。
ヨガをやる前に比べて、脳みそのなかが綺麗になった気がする。
トイレで用を足しながら、いつもより息がしやすくなっている自分に気がつく。
たった17分でこんなに気持ちが軽くなる。
何より、ヨガをやっている間、100%自分にだけ目を向けて慈しんで愛してやれる。
この時間をケチって、自分を蔑ろにしてまで回し続ける生活ってなんだろうか。

雨がざあざあと屋根を叩きつけている。
だけど、私はなんとなくへいちゃらな気持ちで、図書館で自分好みの本をたっぷり時間をかけて借りてやろうという気になった。

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そういえば、物語を書くぞと真剣に決めてから、SNSをほとんど触らなくなった。
それに比例して、読書量はグッと増えた。
今は、不要な言葉を何ひとつ自分の中に入れたくない。

自分が読みたい本と、自分自身の心がそこにあればそれで十分。

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