2024年8月22日
何にもないところから、何かを生み出すということが、こんなにも苦しいことと思わなかった。
いや、本当は知っているけど、それを経験しであろう一昔前まえのどこか遠くに、置き忘れてきたのかもしれない。
今私はコメダ珈琲のいつもの角の席で、物語をうんうん言いながら紡いでいる。
1時間半かけて、やっと1ページ半。
家事育児をして仕事もしながら、月末までに15ページ、仕上げられるだろうかと不安になる。
本を読む、なにか想う、そして書く、そんな営みからあんまり長く離れすぎた。
これではいけない。
私はモノを書いて暮らしていく。
そうやって生きて死ぬ。
そう決めたのだから。
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書くってなんて自由なんだろう。
けっして自分の書くモノがうまいとは思わない、けど、文字がじわじわと溜まっていくごとに、私の心が軽くなるのを感じる。
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今朝、洗濯物を干し終えると、母から電話。
出てみると、「今内職か、私の話を聞いて、弟の調子が悪くて、、、」といつもの調子で矢継ぎ早に捲し立てる。
「あんたは家で仕事ができていい」
という言葉が嫌味ったらしい。
いつも吐息まじりに話す母の声が、耳の奥にべっとりと粘りつく。
またその話か、私はあんたの愚痴を聞くと体の調子が悪くなる、やめてくれ
と伝えると、そうか、と言って電話が切れた。
語気が荒くなる私の声を、もしかしたら2階にいる夫が聞いているかもしれない。
母に強く当たる私のことを、夫は失望するだろうか。
そうなっても構わない。
私はやはり、母のことが嫌いなんだろうとつくづく思う。
一昔前は、「愚痴を言ってくれるな」と少しでも歯向かえば、母は収まりが聞かなくなるほど発狂していた。
母が泣き叫びながら私を打つのが怖くて、私はいつも母の口から延々と流れ続けるジメジメとした悪口や悩み事をこっくりこっくり頷きながら聞いていた。
でも、それを続けているうちに27歳で息ができなくなった。
心療内科にかかって、仕事に行けなくなった。
自分を取り戻すのに、5〜6年かかったろうか。
私は、またあんな風に自分が崩れるのが怖くて、母の愚痴を聞くのを一切やめた。
冷たいやつと思われても構わない。
私には、自分の息子と夫との日々を守る方が大切だ。