【世田谷の保存樹木】マンション事業者により伐採が決行。区も、企業も、町も、誰も守らなかった
(これまで時系列に書いていましたが、連休に入る前の4月26日に伐採が決行してしまったので、そのことを先につづります)
突如、始まった保存樹木との戦いでしたが、どうあがいても守りきれず…、12日目にして切られてしまいました。後悔ばかりが残ります。
マンション建設の計画を知った時に、どうして保存樹木のことを確認しなかったのか。登録解除されていたことを知ったら(そもそも登録解除ができるものなんてことすら知らない)、そこからでも世田谷区に掛け合うなり、有識者に意見を聞くなり、署名活動を大々的に進めるなり、裁判へ持ち込むなり、保存するためにもう少し動くことができました。
しかし、一部伐採が始まって中断という状況からは、どう頑張っても12日間が限界でした。その中でもできることはなんとか手をつくし、抗ってきましたが、知らない間に伐採を止められないところまできていたのです。
樹齢100年にもなろう木の価値と、マンションの価値
直径70cmほど、樹齢70〜100年ぐらいでしょうか。それだけの年月をかけて育ってきた木を、どうして誰も残そうとはしなかったのでしょうか。戸数が減ったとしても、この価値を誰もわかる人がいなかったのでしょうか?人口減少が始まっている世田谷区において、この木を切ってまでマンションを建設する必要がどこにあったのでしょうか。
最後まで心の折り合いがつけられず。
守れなかった自分の無力さと、綺麗ごとばかり並べ、現実と伴っていない企業と行政に対しての怒り、いつも当たり前にあった景色がなくなってしまう喪失感に、もうフラフラになりながらも、同じことをくり返さなためにも人に伝えなければならない。その使命感に駆られ、とにかくシャッターを切り、動画を回し続けました。
「残念だけど仕方ない」で済むことなのだろうか
近隣の人がチェーンソーの音に気づいて見に来たり、通りすがりの人が足を止めたりしていました。張り付いて写真を撮っている私にも気づいて、話かけてくれますが「残念だけど、所有者のものだから仕方ないね」といった様子。
もちろん理屈では仕方のないことです。法や条例に反しているわけでもありません。しかし、これは「仕方のないこと」で済ませていいのでしょうか。子どものころから当たり前にあった景色や大好きな町の景色が、第三者によって壊されてしまうことが「仕方のないこと」なのでしょうか。都会に残された貴重な自然を、100年近く守られた木もマンションのためなら「仕方のないこと」なのでしょうか。
自分たちの町は自分たちで守らなければならない
この1本の木がなくなったとて、世田谷のCo2がどこまで減るのか、生物多様性にどこまで貢献しているのか、エビデンスを出すことは私にはできません(これから有識者にコンタクトをとって確認するつもりですが)。
しかし、これだけ大きな存在でありながら、住民不在でことが進められてきて、止められないところまで来てしまっている。そこに憤りを感じて仕方ありません。
これまで、私も誰かに賛同し、署名活動にさんかするなどはありましたが、自ら社会に対して声をあげたことはありませんでした。
でも、自分たちの幸せを侵害されるのですから、そこは声をあげなければ、なかったものにされてしまいます。そのことが今回、痛いほどわかりました。自分たちの町は、自分たちで守っていかなければ、これからもこの悲劇は続いていきます。
神宮のいちょう並木の伐採計画と同じ問題だ
神宮のいちょう並木の問題も同じ構図です。開発を進めたいディベロッパーと行政、そこに住民の意見など聞きもしないでことが進んでいく。しかし、この景色に、この木の恩恵を受けてきた、これからも残していきたい、その町に住む人たちの思いはないがしろにされていいのでしょうか。
もちろん、住民の立場によっては反対意見、賛成意見、それぞれあるはずです。それを対話する、お互いの意見を聞き合うことなく伐採されてしまう。そのことに声をあげなくては、これからも企業や行政のいいようにされてしまいます。
この木は守ることばできませんでしたが、今回の保存樹木の伐採を無駄にすることなく、これからも発信と行政や社会に向けての働きかけを続けていくつもりです。具体的な動きが決まったらまたご報告します。引き続き、応援よろしくお願いいたします。
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