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望月遊馬詩集『白くぬれた庭に充てる手紙』を読んで

7/31に発行されたばかりの新詩集。本文は全132頁あり、序の巻頭詩から5章にて構成される。詩篇としては18篇が収録されている。

自分が装幀を見るのが好きなので、まず少し触れておきたい。
記憶を一枚剥いで作られたかのような半透明の紙(ワックスペーパーのように見える)に、印刷された帯(帯文・川口晴美氏)と挟み込まれた「光の声」。
「光と暗がりの不可分性」あるいは「光の暗がりのあえかな美しさ」は「人間と猿の分かちがたさ」にも近いのだろう。詩篇は「宮島や広島の風土」をテーマに編まれていて、モノクロ写真も本文中で数枚使われているほどだが、この詩は他にキーワードとして「白い庭」「猿」があるように思う。特に「猿」が出てくる詩は少なくとも6篇ある。散文詩が多いように思うが行分け詩も収録されており、形式にはこだわらずテーマ性を重視している内容。

巻頭詩の『歌うひと』。「あなたに捺された冬の消印」のついた葉書(これはつまり手紙である)は、冬の葉書でありながら、同時に夏に差し出す小さな葉書でもある。「消印のきえかかった/冬、/わたしと、わたしの家族と、/地底の白さとか、/歌う、歌おう。/あなたの詩を朗々と、/きっと、歌おう。」この「あなた」とは誰だろうか、と思いながら、ずっと読み進めていくことになった。

『3.雪の跡』「家の白い庭には顏が並んでいる。ずっと私を見てくる黒い顔だ。」この黒い顔は雪を踏みしめた足跡なのではないかと思ったが、もしかしたら「父」でもあるのだろうか。「父」は「光を溜める井戸のよう」であり、「落ち続ける滝」であった。この詩の印象は、心象の重苦しさと共に雪の朝の澄んだ大気が対比されているというもので、その矛盾によって読み手の私も眩暈を起こすような生き苦しさを感じた。

『天水の名水』「美しい水を守らなければならない」それは「献水」に相応しい湧き水としての本質から逸脱し、ただ水質汚濁した水ではない「水道水」のほうがいいのではないかという話へすり替わっていくことが現代社会を象徴しているように感じた。

『あてどない庭の白さへ』短詩にも近い13章で構成された詩篇。これは「白い庭」の四季なのだろうと思った。初夏から夏に実る果実の、無花果も枇杷も生り、夏の花の芙蓉の咲く庭だったが、冬――雪が白を重ねていく。12章の「兄ちゃん」は『兄ちゃんの思い出』の「兄ちゃん」を想起させた。兄ちゃんとの稀有な思い出も夏だった。

夏と冬の季節の対峙を思う。この詩集の中で、夏の幸福と冬の陰鬱が対比される。大元のテーマである「宮島と広島の風土」の詩からは、私の感想は、ずれた受け止め方でありまったく独自の解釈であろうと思う。何度も読みながら、ことばと景色のうつくしさを考えたいと思う。

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