「決してわかることはない」ってことを受け入れる。
東京への移動の新幹線の中で
これを書いています。
人が悩んだり、苦しい、辛い、と
感じる原因は、病気や死別を除くと
期待通りの現実じゃなかったり
人と理解し合えないことが
ほとんどではないでしょうか。
「期待」に関しては、これまでも
何度か書いてきましたが
今回は「理解する(わかる)」に
フォーカスしてみたいと思います。
いまでこそ、わたしは
「おもしろそう」と直感したことに
エネルギーをかけて「いまここ」の
安心の中で生きていますが
2010年、人生で初めて
ヒプノセラピー(催眠療法)を受け
意識世界の構造や現実化のメカニズムを
知覚し、意識・無意識の紐解きを
するようになるまでは
呼吸の如く、他者や結果に期待・執着し
大切な人と理解し合えないことに
悲しみと憤りを感じていました。
なんなら
「わたしはあの人を理解しているのに
あの人はわたしのことを
理解しようとしてくれない!」
とさえ思っていたと思います。 ←悲劇のヒロインw
「理解してほしい」
ということに執着していたんですね。
「理解されること=愛される」だと
信じてましたから。
けれど、わたしが信じてること
わたしの解釈こそが、現実化への
エネルギーになっていると理解したとき
わたしが「理解している」と
思っていた相手は、わたしが
わたしにとって、都合よく解釈した
相手なのであり、理解していたのでは
なかった、と気づいてしまったのです。
そして、その瞬間
「決してわかることはない」
と悟ったのでした。
どこまでいっても、わたしの解釈で
想像でしかないんだ、と。
と同時に、だから、相手も決して
わたしのことをわかることは無いのだ、と
いうことを受け入れたのです。
そのとき「理解されること=愛」から
「理解し合おうとする努力=愛」に
変わりました。
本当にはわかり合えなくても
それでも、わかり合おうとすることは
やめたくない、と。
「理解してほしい」という執着からは
完全に解かれました。
このことは、わたしにとって
かなり衝撃的な気付きとなりました。
「わかっている」と思っている相手は、自分の都合良く解釈をした人。
例えば、相手のことを
「自分勝手でわがままな人」と
「理解」しているとしましょう。
理解というか「解釈」なのですがw
「自分勝手でわがままな人」と解釈
するのは、相手が、自分が思った通りに
期待通りに行動してくれない、つまり
先に自分の「期待」があるわけで
その期待値から乖離しているから
「自分勝手でわがままな人」という
解釈が生まれるのであって
相手が絶対的に「自分勝手でわがまま」
なわけでは無いのです。
相対的に「そう見える」のです。
「こうであってほしい」という
期待があるから。
要するに、ここまできて
何が言いたいか?というと
病気や死別などは置いておいて
悩みや苦しみ、辛さは、自分の外の
世界に対する期待による執着と
自分は「わかっている」と思い込んで
いること、それが「絶対」であると
思い込んでいることによって
生じている、ということです。
そもそもわかるわけないんだ
ってことを受け入れることができたら
嘘みたいに、これまで拘ってたことから
解放されます。
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