
【苦手な人はスルー】嫌なことがあった時の考え方
前回、前々回の記事を振り返って……
正直思いました。
「なぜ私がこんな目に遭うんだ?」
先輩方に聞いても、
あまりないケースのよう。
嫌なことがあった時、
斎藤一人さんの以下の動画を
何度も聞きます。
(※人を選ぶ内容です)
昔の私は非常に怒りっぽく
他責思考で被害妄想気味でした。
感謝の心も知りませんでした。
神様や不思議なことを
信じず、唯物主義的でした。
なぜ、自分はこんな理不尽な目に遭って、
なぜ、周りは家族も含めて敵ばかりで
なぜ、何もかも思い通りにいかないことだらけで
なぜ、人は出来るのに私は出来ないことだらけで
なぜ、人は持っているのに私は持っていなくて……
不平不満の塊、常に
不足を嘆いていました。
(私にとって)父親代わりである
メンターの言葉が効きました。
(といっても、6歳年下なのですが……
とても素晴らしい方です)
「全ては自分の責任」
尊敬していたので、
メンターの言葉だけは
心に響きました。
メンターも斎藤一人さんを敬愛
していたので聞くようになり、
人間のみならず神様の存在や
現世と前世にも視野を広げると
長い時間をかけて少しずつ考え方が変わりました。
至らない自分
それを寛容に受け止めてくれる相手
もしかしたら、
至らなさも
お互い様なのかもしれない……
本来、人間とは許し許されて
生きている存在なのかもしれない。
そう思うと、海外で言葉の壁があり
コミュニケーションに工夫が必要な中
「お手数をお掛けします」
の一言が潤滑油になります。
日本語なら日本語
ジョージア語ならジョージア語
英語なら英語
母国語同士ならいくらでも
伝わるけれど、文化も言葉も
人種も異なる中で
お互い歩み寄ろうとしている
姿勢が有難く感じます。
まだジョージアに来て間もないですが、
関わる人が皆、私と同じ目線で
手を差し伸べてくれようとしていました。
その心が嬉しい。
海外ならではの醍醐味かもしれません。
国家単位でもこのような姿勢なら
戦争はなくなり、真の世界平和が
訪れるのかもしれませんね……