その荷物が手放せないのは誰かのせいじゃない。
誰かに課せられたものでもない
私はこうじゃなければいけない。と
自分の中で(無自覚にでも)
決めてしまって
手放せない荷物ないですか?
それって
元をたどれば愛だなと。
大切な人を思うほど、大切な人のために
自分を犠牲にしているような
感覚になっているだけで、
何か出来事が起こると
この人がいるから私はこの荷物を手放せない。
この人がいるからじゃなくて
私のがこの人を理由にして
荷物を手放さないだけ。
ちょっとのすれ違いで起こった事も
この荷物が手放せないから
自分を責めたり、相手を責めたりしてしまう。
今回また現れた
私の手放せない荷物は、母に対しての
【心配をかけたらいけないという荷物。】
心配をかけたら母を悲しませる。
悲しませる私はダメだという感情。
これまで何度も手放してきたけど
まだまだ私の奥深い無意識下に
未消化な感情が残っている。
もしかしたら
母の中にもあるのかもしれない。
その【心配】というエネルギーが
今回合致して
ポンと現れたのかもしれない。
現れた時「またかよ」ってなったし、
久しぶりに母に対して
怒りをあらわにしたし、
私は謝るところで
「お母さんだってやってるやん!」と
怒って責め立てた。
とっさに私が悪いんじゃないと
思いたかったから。
後で責め立てた事を後悔して
めちゃくちゃ嫌な気持ちになったし、
もう一回母とちゃんと話そうと思ったら
思いが溢れて涙は出るわ
なんかどっと疲れたし。
色々味わった。
しんどいけど現れて良かった。
どれも味わう必要もあったし、
未消化な感情(荷物)が一つ手放せたから。
今回の出来事だけを見たら
ただのタイミングのズレもあったから
自分が思うほど自分を責めなくて
良かった事にも気付けた。
ここで私が自分を責めたのは
以前にも同じような事があった時の
感情を何重にも今に重ねて
荷物にしていた事。
忘れるなと言わんばかりに
重たくして離せないように自分でやっていた。
自分に寄り添えた事で
もうそうしなくていい事にも気付けた。
ここで一つ荷物が手放せて
心配のエネルギーが
手放して大丈夫のエネルギーに変わった。
きっとまだまだ私の奥深いところに
潜んでいる荷物はある。
また現れるかもしれない。
また出てきたら手放そうかのサイン。
これはより良くなるために起こっている事。
またかよって嘆くのではなく
無視せずその時々に丁寧に向き合う。
これも
【自分を大切に扱うこと。】
【自分に寄り添うこと。】
荷物が手放せないのは
誰かのせいでも自分のせいでもない。
ひとつずつ手放せばいい。
手放せたらじわじわと
自分が軽くなる感覚が分かるから。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます☺︎