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堅物(カタブツ)かもしれない
最近は週に2日ほど、夕方の運動公園を自転車で走っている。日も落ちて暗くなった外周は大抵、ウォーキングの人がたった一人いるだけで、他には誰もいない。道の左右には木が植えてあり、代わり映えしない風景の間をするすると走り抜ける。予期しない人やモノにぶつからないように気を付けながらヘッドライトが照らす先を見る。舗装された地面と所々にある照明が作る自分の影。同じ景色の繰り返し。
人類が地球外にコロニーを持つことができたとして、そのコロニーまでの輸送船を運転したら、こんな気分かな。と思う。
遠くに見える星を見ながら暗闇を通り抜ける。静寂をふたつに切り分ける。頭のなかの時間の感覚が希薄になる。自分の足だけが時間をカウントしている。
ただ実際にその宇宙時代が来る頃には、輸送船は自動運転になってしまっているだろう。パイロットは必要なくて、無人の輸送機が運行されるに違いない。
自動運転。
僕は個人的には必要に感じた事がない。どちらかといえば自分で運転したい。車を停めるのも、速度を維持するのも、進路を決めるのも自分でやりたい。
でも技術は進歩して、実装される。
そしていつか、全ての新車に自動運転の機能が搭載される。
すると自動運転ではない手動モードで操作することが「危険な行為」と見なされるようになるだろう。
『非常時以外は自動運転で。』
それが交通安全のスローガンになる。
そうして技術が本来の楽しさや喜びを奪ってしまう。
というのは考えすぎだろうか?
アナログ人間の僕はどうも時代についていけない。仕事でも趣味でも自分の技能が向上しているのを感じられる時が一番楽しい。
技術が事故を防ぐために必要なのは分かる。そして不慣れで未熟な人たちや年老いてスキルを発揮できなくなった人たちに有益なのも感じる。
でも自称『車好き』の人たちが最新技術にこだわるのは、何だか不思議な気がする。
車は好きだけど運転はしたくないってこと?
本当に車が好きなの?車の何が好きなの?
と思ってしまう僕は時代遅れなんだろうな。
しかし、漕がなくても進む自転車や傾けなくても曲がれるバイクがあったとして、そこに今と同様の楽しさを見いだせるサイクリストやライダーがいるだろうか。
世界中の車がMTの空冷ビートルだけになっても構わない。と思う。
僕は今のところ、そこから変われずにいる。