チョット look back in anger
僕も人並みか、人並みより少しだけ音楽が好きだ。演奏するのはできないから、聞くの専門ではあるけれど。
僕の身のまわりのオジサン達を見てみると、僕の職歴のせいだと思うが、情報量の多い意識高い系グループと、まるでそんなことのない色気なし系グループに二分される。その景色の中で、僕はほぼ中間のニュートラルな位置に立っているように見える。
僕は車での移動中はラジオを聞いている。
電波が届く範囲ではAFNを、その範囲から出たら適当に受信できるチャンネルを聞く。
流れてくる最近の曲に「いいね」と思ったり「なるほど...」と妙に感心したりする。
本当に好きなのはサム・クックやC.C.R.なので、家ではそれらに準じた音楽を聴く。とはいえ、AC/DCも好きだしstingも好きなので一貫性は無い。そして最近のミュージシャンの曲も聞く。
閉店後に厨房でクラプトンを聴いたりもする。厨房はスピーカーの裏側に位置するが、意外と良い音で聴く事ができる。店のスピーカーは特別なものではないが、ONKYOの愛着あるものを使っている。you tubeのクラプトンのオフィシャルチャンネルは何故だか音質が良い気がする。通信やデータというものをまったく理解していないので音質が良い理由は分からない。もしかしたら自分の枯れてきた聴覚のせいか?とても耳に心地よい。
この音質の良さは「臨場感」ではなく「メディア感」だと思う。
どういうことかと言うと、すぐそこで演奏が行われている感じではなく、きちんとクリアーに録音された音を聞いている感じだ。
昔、音響マニアの友人に「本当のマニアは自分のオーディオで"自衛隊演習"を聞く」と教わった。どうやら音響に凝り出すと、その果てには銃器の発射音や戦車のエンジン音を聞くようになるらしい。
当時は笑ってしまったし、今でもなにか納得いかない。
でも、これも「メディア感」の確認だと思えば分かるような気がする。
普通に暮らしていたら発砲音を聞く経験はしないから「臨場感」といっても根拠の無いイメージでしかない。ただ、そのイメージにピタリと合致する音が聞こえるかどうか、となると話は変わってくる。それが歯切れよく迫力を持って耳に届けば「表現力がある」ということになるんじゃないだろうか。
何を書きたくて書き始めたのか忘れてしまった。
あ、そうそう。オアシスの再結成だ。
僕の青春時代に流行った事もあってオアシスが好きな友達も沢山いたし、僕も好きだった。再結成すると聞いて「へー」と期待する気持ちにもなった。(今後どのような活動をするのかは知らない。)
だけど、なんだかピュアな歓迎の声が多すぎる気がする。
彼らが他のバンドや歌手に言ってきた暴言をかえりみれば
「お前ら、いまさら戻って来ても立ち位置はないぞ」
くらいの皮肉を誰か言っても良いのに、と思う。
いつの間にか、やけに遠慮する時代になった。
人に優しいのは良いことだけど、そんな時代には、なかなか本物のロックは生まれないんだろうな、という予感がしている。
それはともかくオアシスだけが言いたい放題なのは、ちょっとフェアじゃない気がする。誰か対等に言い合える人がいないとショーにならない。そこが気になる。
まあ、怒ってはいないんですが。