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お客さんに教わったこと

最近の僕は機械の仕事でいっぱいいっぱいで、自分の店に立つことはないのだが、以前は店の一部として頑張っていた。
来店してくれるお客さんのなかに僕を気に入ってくれて、よくお喋りするおじ様(現在80歳位)がいた(今でも店の近くで偶然会って話す機会はある)。仮にSさんとしておこう。

Sさんは法学部卒で、若い頃は司法試験の勉強をしていたけれど、結局、受かることはなく損保会社で事故の調査員として働いていた、という経歴を持つ。それが嘘か本当かは確認出来ないので、その問題は置いておく。

ちょっと癖のある人柄なのだが、頭脳明晰で知識も幅広い。面白い切り口で時事問題や昔の話(昭和初期の東京の話、仕事、恋の話など)を聞かせてくれるのだ。時々法律や保険のなりたち(海上保険は一種のギャンブルだった)のような雑学を教えてくれたが、話題の大半は勉強にはならないものが多かった。

でも人生の大先輩が言うことには「なるほど」と思う事もあって、その中で僕の印象に強く残ったのが
『歳を取ったら若い頃の思い出を反芻して楽しむんだ』
という言葉。

僕が初めて会ったとき、Sさんは70才を少し越えた位だったと思う。まだジェベル200というスズキのバイクに乗って色々な所へ出掛けたり、車で若い女の子と遊びに行ったりしていた(若いと言っても僕と同じくらいね)。だから「今を楽しんでいない」訳ではない。

だけど、そうやって今を楽しんでいる人でさえ
『歳を取ったら若い頃の思い出を反芻して楽しむんだ』
と言うんだから、ちゃんと思い出を残しながら生きなくっちゃなあ。と思わされた。こうしてnote に色んな事を書くようになったのも、その言葉の影響が大きい。

僕が今よりずっと歳を取った時、老人ホームか病院か、はたまた別の何処かかもしれないけれど、ここに書いたことを読み返して(ああ、そうだったなあ)としみじみ思えたらいいな、と思う。しばらくはベスパの事を中心に書いていくことになりそうだけど、未来の自分への手紙として上手に書けそうなら、もっと色んな事を書き残しておきたい気もする。


わりと最近「老害」という言葉をよく聞いたけれど、最近のその言葉は、自分が理解できない事への苛立ちでしかないような気がする。
それは知識や経験が乏しい若者の悲鳴なのかも知れないけれど、昔の話をしてくれる年長者って実はそんなに多くない。
昔話を毛嫌いしてたらどんな趣味も仕事も深まらない、僕はそう思うんだけどな。
まあ、本物の老害も自治会とかには存在してるんだけどね。