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老い と 酔い

ポリープ手術で控えていたサーフィンを再開した。
ちょっと体力が低下した気がする。
昨日はいつものポイントは波がよくなかったので、トコトコ歩いて、ほとんど行く事のない1キロ程離れた隣のポイントで入った。

隣のポイントとこちらはヘッドランドというT字型の突堤で区切られているので、わざわざ覗きに行かない限り普段は向こう側の様子を知ることはない。

ヘッドランド。茨城県HPより

昨日はその少し小高くなったヘッドランドを越えて、向こう側へ行った。向こう側は大盛況で、一瞬サーフィンすることを躊躇う程の数のサーファーが浮いていた。

波は割りと良さそうで2箇所のピーク(波が割れ始める所)が有った。各ピークに約30人ずつ。波のサイズは胸~肩位。この波のサイズは日本のサーフィンでは波を岸から見た高さを言う。胸~肩はまあまあいい感じに波がある状態。
ひとまず様子見で右側のピークの端で波待ちをする。

周りのサーファーのほとんどは長いボードに乗っていてショートボードは全体の3割といったところ。年齢層は総じて高く、30代以下は居ないんじゃないか?という感じだった。大袈裟ではなく、僕が一番若いのでは?と感じたくらいだ。

サーフィンというのは海まで行くのに車が必要だし、上手になるには時間がかかる。タイパやらコスパだのを気にする世代からしたら、最も忌み嫌うべきものじゃないだろうか。そのせいかどうかは知らないが、サーファーに若者は少ない。世間ではサーファーのイメージはキムタクまたは坂口憲二みたいな爽やかでカッコいいものかもしれないが(キムタクも坂口憲二ももうオジサンか…)、実際のサーファーはそんな事はない。キムタクの足許どころかその下の地中にも及ばないような、くたびれたおじさんが大半だ(自分も含む)。

周りを観察しながら形のいい波を選んで乗る。
浮いているサーファーの数に対して乗る気があるサーファーは少なく、コンスタントに波に乗れた。

混んでいる海では接触事故が怖いので、約1時間で10本乗って上がった。


混雑した海でもちゃんと波に乗る事はできたが、やはりここ数年、自分の『老い』を感じる。若い頃に比べて同じ負荷の事が出来なくなってきた気がするし、瞬発力や動体視力、柔軟性が落ちた感じもする。何より、ふとした時の身のこなしがダサくなってきた様に思う。これがオジサンっぽさというやつだな…くそぅ!と思う。

まあそうなるのも当たり前と言えばその通りで、もしも「若い頃と変わらない」のであったら逆説的に考えると、20代の頃から46歳相当の能力や所作で生きてきた事になる。
そんな筈は無いし、もしそうだったら悲しい。

それにしても『老い』を正確に自覚するのは難しい。
その把握しにくさは『酔い』に似た性格を帯びているように思う。

呑んだ上で「酔ってないよ」という人は、まず間違いなく酔っている。面白い人だなあ、とは思うが酔っぱらいだ。酩酊状態まであともう少しだったりする。つまりは自分がどのくらい酔っているのか分からなくなった状態だ。この点で『老い』に似ている。

それに対して自分を客観的に見て、どの程度酔っているかを見失わなれば、あとどのくらいの量?どんなペースで?と、コンディションを保ちながら、酔った状態でもより長く楽しむことができる。

これを酔→老にすると
どの程度老いているかを見失わなれば、あとどのくらいの量?どんなペースで?と、コンディションを保ちながら、老いた状態でもより長く楽しむことができる。と、なる。

趣味の上では気を付けたいことだ。

『老い』をできるだけ正確に把握することで、道具選びや状況判断に役立てて、老いと伴に無理なく長く遊べるようにしたい。

『老い』の怖いところは、ゆっくりと確実に進行していくところ。『酔い』は理性を失わなければ自分でコントロールできるが、『老い』はそうはいかない。体を鍛えて、若い頃より速く走ったり重いものが持てるようになったとしても、それを若返りとは言えない。それは「トレーニングの成果」というまったく別ジャンルの事象であって、若返ることは無いのだ。
※もちろん体は鍛えた方が良いと思います。

『老い』はこちらが(嫌な奴だな)と感じていても、ずーっと一緒に付いてくる。だからこそ上手なつきあい方を考えなくっちゃいけないな。

楽しいサーフィンだったけど、それを噛み締めた日だった。





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