メーターが人を狂わす
僕の乗り物にはスピードメーターやタコメーター、燃費計等が付いている。今の僕はスピード以外のメーターが示す数値にあまり頓着が無いので、その数値に合わせた操作をしない。
そう書くと分かりにくいので解説すると、僕の車やバイクは今やすべてオートマなので回転数や燃費は『速度』が勝手に決める。速度を決めたら他の要素は自動的に従うしかないのが現実だ。
だけど世の中には色んな人がいて、「速度よりも燃費」「速度や燃費よりも回転数縛り」という人も居る。そういう人は燃費が悪くなるのが嫌だからゆっくり走る、とか、エンジンに良いと信仰している回転数で走る(オートマではできない)という選択をする。
僕は以前ロードバイクに乗っていて、そいつにはサイクルコンピューターを付けていた。このサイコンというやつは大昔は距離計と速度計の機能しかなかったが、僕が最後に自転車に乗っていた頃には心拍計とペダル回転数を表示するケイデンス計の機能が追加されていた。そしてそれらの各平均値を表示する機能もあった。
するとどうなるかというと、一度走り出したら自分の思う数値に平均値を収めたい、という気持ちになる。
速度は25km/h以上。心拍は忘れた。ケイデンスも?
で、それを死守するために交通ルールを無視したりする。
本当は気持ちよく走りたいと思っていただけなのに、いつしか数字の奴隷になっている。数字は見える化の上で重要な記号であるけれど、趣味の世界では魔物であると思う。扱い方を間違えると楽しさのベクトルがおかしい方向へ向かってしまう。
職業であれば対価や報酬を支払ってくれるスポンサーなり雇用主がいるわけで、そこに対して達成件数、コスト、時間、成績などの種々雑多な数字が求められるし、その数字に意味がある。
でも趣味の上では数字よりも感覚・感性を重視しないと勿体ない気がする。メーターに表示される数字よりも、過ぎ去っていく時間と景色、そして自分の感情のなかに大事な事が含まれている。
例えばバイクであれば「14000回転まで回した」という事実よりも「速かった・遅かった・スムーズだった・怖かった」という率直な感想の方が経験としての質が高いと思うし、自転車なら速度や距離や標高より、見たもの感じたことが自分のオリジナルだと思う。
数字を求めることは多くの場合、職業人(プロ)の真似事であったり、憧れに近づくための目安の場合が多い。ま、乱暴に言うと、そんなことに価値など無い。
皆、何かしらのプロだから想像すれば分かると思う。
自分の職業に憧れを抱く人がいて、その人が自分と同じように数字を気にしながらそれを趣味としていたら…
「もっと自由にやったら?」
と、誰でも言うだろう。
これからプロになるんだ!という場合もあると思うけれど、基本的には自分の思うように好きにやったら良い。
だから趣味の上で一番大事な数字は1だな。
趣味にまつわるすべてのメーターの表示は0か1で良いと思う。
楽しかったら1
つまらなかったら0
自分らしくキマれば1
人の真似は0
動いていたら1
停まっていたら0 という具合に。