漫才師ベイブルースのこと

世の中にはいろいろなジャンルの天才がいますが、私が最初に天才だと思ったのはベイブルースという漫才コンビの河本栄得さんでした。

ベイブルースは、1988年デビューの大阪の漫才コンビで、1年目から頭角を現し、当時目の当たりにした人々へ強烈な印象を残しました。
漫才の面白さもさることながら、個人的に河本さんの天才っぷりを思い知らされたのが、とある深夜のバラエティ番組での大喜利的なものの切り返しが素晴らしかった件でした。
相方の高山さんが横でハラハラするのを尻目に流れるように言葉が出る、詳しい内容は覚えていませんがとにかく度肝を抜かれました。
その番組の司会進行が月亭八方師匠で、河本さんの天才っぷりをたたえつつも、すごすぎて心配になる的な意味深なコメントも残されていたことを覚えています。
ちなみに八方師匠は、キングコングのお二人のデビュー間もない頃にもキングコングのラジオに出演され、同じような、しかし微妙にニュアンスの違う心配をされていたのも印象的です。

河本さんは25歳という若さで急逝されたので、ベイブルースという漫才コンビの活躍を目にできた世代はそう多くないことを思うと、私は貴重な瞬間に立ち合えていたのだなと思います。
河本さんの天才タイプを現在の芸人さんで例えると、守谷日和さんときたみな野村さんを足した感じが近いかなと思います。2で割りません、むしろ2を掛ける。それほどすごかった。

ベイブルースの漫才は面白く、河本さんも高山さんもビジュアルに華があり活躍を期待されていましたが、河本さんが天才なうえにストイックすぎて、高山さんはかなり苦労されたようでした。

ここで、ホームページを持ってた頃の、大昔に書いた文章の存在を思い出しましたので置いておきます。
持ってた頃の、と言ってもホームページはまだ存在してるんですけどね。
以下敬称略にて失礼します。

和泉修と高山トモヒロ~放浪の終わり~(02.11.15)

「ケツカッチン」という漫才コンビがいます。結成されてまだ一年ですが、コンビのそれぞれがかなりのキャリアを持ったベテランで、元のコンビでも相当な実績を残しています。和泉修は清水圭との「圭修」が有名ですが、ケツカッチンでの修さんの相方、高山トモヒロの元のコンビ「ベイブルース」は、当時人気も実力もダントツでありながら現在その名を聞くことがないのは、不幸な出来事があったからに他なりません。それがなければ、彼らの名は確実に全国クラスにのしあがっていたと思われます。
ベイブルースは、ボケの河本、ツッコミ高山で構成されており、当時の記憶は実は殆どないのですが(12~3年前…)それでも面白かった事だけはよく覚えています。多分、当時の関西では現在で言うFUJIWARAクラスの人気と知名度があったコンビでABC新人お笑いグランプリで最優秀新人賞も獲りました。同期には、「おかけんた・ゆうた」、現在の「かつみ&さゆり」の「太平かつみ&きびのだんご」、がいたと思われます(何せ昔の事で…あいまいですみません)。当時この面々にハイヒールと月亭八方師匠を加えて、今で言えば「マジっすか!?」のような、吉本若手を集めた番組をやっていたりもしました。
このベイブルースのボケ、河本さんは、お笑いの天才でした。今となっては具体的に何も思い出せませんが、現在でいうならますだおかだの増田英彦氏のような雰囲気を持った人でした。
天才肌で努力もする、時にはお笑い芸人らしからぬ鬼気迫る雰囲気を醸し出し、相方の高山さんをはらはらさせたりもしていました。
そしてそんな天才の相方を持った高山さんは、相方を思いつつも、そのレベルの高い要求に応えるのにかなり辛い思いをしたようです。

そして、その天才漫才師コンビベイブルースの名前を今聞く事がないのは、他ならぬ河本さんの死が原因でした。劇症肝炎という病気でした。
私はこのニュースを、電車の中で人の噂として聞きました。
その時、ショックなのと同時に、TVで見た高山さんの相方を心配そうに見つめる姿を思い出し、彼は一体どうなるのだろうと思ったりもしました。

その後、TVでピンで頑張っている高山さんの姿をみかけました。しかし、一人で画面に映る彼の姿にどうしても物足りなさを感じていました。

そして数年後、実は圭修を正式に解散してなかった和泉修氏が、圭さんに連絡を取って正式に解散した後、高山さんとコンビを組んだというニュースを聞きました。正直言って、「高山さんをよろしくお願いします!」という心境でした。息子を嫁に出す気分でした(笑)(色々間違ってます)。
長い長い間の旅路の果てに、やっとふさわしい人とコンビを組めたのだなあと、自分の事のように胸が熱くなりました。そして、やはり高山さんも修さんも、漫才する姿がよく似合っています。
末永く幸せに、と願わずにおれません。

ベイブルース高山

サイトにベイブルース高山さんに関する文を載せているのですが、今日思うところあって検索をかけてみたら、高山さんの公式ホームページが出てきて、そこにあったベイブルース河本さんへのメッセージコラムを見て胸が本当にいっぱいになりました。忘れてなかったのは私だけじゃなかったんだなあ、と思いました…。
そうですね、高山さんは河本さんを激症肝炎で失って、ピンとしてやっていきながらも、「ベイブルース」の名は決して捨てていなかった。2001年11月1日、ベイブルースを「解散」するまでは…。

ケツカッチン結成に際して、修さんが正式に圭修を解散したのは知っていましたが、高山さんもそうだったんですね…。10月31日は河本さんの命日だったそうで、河本さんを失ってちょうど7年目、新しい相方を得て、ベイブルースを解散したのですね。

なんだか胸がいっぱいです。

人生は長いです。色々ありますね。
好きになれる人を、精一杯好きになって、精一杯やれる事をやってあげたいです。

2004年02月04日(水)

という感じで、現在書き起こすよりより当時に近い頃に書いた文章のほうが臨場感があるかと思い、そのまま持ってきました。

ベイブルースに関しては、河本さんはもちろんですが、私は残された高山さんの事がずっと気になっていました。
現在のようにお笑い芸人さんのプライベートなど分かろうはずもなく、でもテレビに映るその雰囲気からもお二人の力関係や、高山さんの優しいお人柄は伝わってきました。
だから、ケツカッチン結成のニュースを聞いたときはとても嬉しかったです。そのいきさつが「ナンバ壱番館」という関西ローカルの深夜TV番組で特集されたりもしました。
ネットのどこかにアーカイブが上がっているかもしれないんで、興味のある方は探してみてください。

阪神の矢野監督と同級生で同じ野球部、タレントさんとして活躍中の光永(ひなた)さんのお父さんでもある高山さん。
これからまだまだ活躍してほしいです。

実は二か月ほど前に書きかけてた記事でしたが、こちらで特集されていたことを知り、改めて書いてみた次第です。間に合うようならぜひご覧になってください。


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