子供のころよく用水路で流されかけていた私が伝えておきたい事
大阪から滋賀に5歳のころ越してきて、(当時は都会から田舎は珍しかった)豊中という名神が通る真下の空気の悪い場所で育った私はもともと喘息の気があったそうなのですが、体が丈夫だったのと滋賀のきれいな空気がよかったようで現在は少し気管支が弱いだけで問題なく暮らせています。
滋賀に来た私は自然の豊かさに夢中になりました。川にはフナやザリガニ、田んぼや叢には蛙や小さな虫たち、蓼(たで)やへびいちごでおままごとをして遊び、季節によってよもぎやつくし、蕗などがわさわさ生えていたのでそれを持ち帰っては母親に調理してもらったり下ごしらえを手伝ったりしました。インコを飼い始めたときは、ハコベなどの食べられる野草を青菜として与えていました。インコは種の部分が好きでしたねえ。
毎日のように田んぼや農道、用水路で遊ぶか、そうでなければ家で絵を描いたり本や漫画を読んでいる子供でした。友達とも遊びましたが、年の近い3人兄弟だったのもありあまり友達とワイワイ遊ぶということはなかった気がします。そもそも外遊びにつきあってくれる友達もあまりいなかったような気がします。いても男の子でしたし。
現在まで大きく変わらない場所に住んでいますが、変わらない私に対して周囲は大きく変わってしまいました。
人口が増え、交通量が増え、町が広がり、自然が消えてゆきました。
小さいころたくさんザリガニをとった用水路はふさがれ暗渠化して、もう生き物は住めないでしょう。
田んぼや竹藪も埋められ刈られ、水鳥や小鳥の生きる場所もどんどん狭くなり胸が痛いです。
現在でも、用水路や田んぼがあったら生き物がいないか観察してしまい、とても生き物が住めそうにないコンクリートで固められた川底に絶望したりします。
引っ越してきた人はそういうものだと思っているかもしれませんが、私はかつてこの地が自然豊かだった記憶があるだけに悲しいのです。
あの頃のまま時が止まればよかったのにとたびたび考えます。
一つ書いておきたいことがあります。
かつて土の用水路だったところは現在、大体コンクリート化していると思いますがそれについてです。
コンクリートの用水路は生き物が住めないのも問題なのですが、障害物がないので浅くても水の流れが速くなり流されやすいうえに、落ちてしまうと掴みどころがないので危険なのです。
私は子供のころよく用水路にはまりました。
増水して危ない時もありましたが流されずに済んだのは、川底が泥で足をとられてかえって固定されたのと、川べりに生えていた丈夫な雑草を掴んで這い上がることができたからでした。
かつては増水すると洪水になりやすく、川底の泥の中に住むヒルの被害が出るためコンクリ化が進んだと聞いたことがありますが、現在はかつてほどの水害はなく(今もなくはないですが、50年ほど前に比べると比較にならないほど減っていると思います)本当に川底までコンクリ化の必要があるのか、今一度、誰にかわかりませんが振り返ってもらえないものかと思います。
もっとも都市計画は発表から二週間は市民からの意見も取り入れられるようなので、市民が提言もできるといえばできますが、大きな告知もなく知らんうちに終わったりするので、よほど注意していないと大抵の方は気が付かずに終わってしまいそうな気がします。
幼いころから自然に親しんでいるとそれなりに自然の恐ろしさも学べたものが、現在の子供たちは、むしろ大人ですら若い人はわからないまま来ているのかもしれません。
自然の減っている今危険は減っているかもしれませんが、海や川、山などでなんでそんな事で、というような事故がこれからも増えてゆくかもしれないと思っています。