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RIDDLE20周年ツアー ゲストとの思い出 BIGMAMA編②

さて、前回どこまで行ったかなあ。

そうだそうだ、BIGMAMAに新メンバーが加入したってところだ。
時系列的には2006年の暮れくらいかな。

元気な姉さんと 寡黙な長髪が加入したBIGMAMAの初舞台は恵比寿のリキッドルーム。
2007年の二月に行われたRx-records主催の「newtypes」ってイベントの1回目だった。

当然僕らも出演していた。 

その日のBIGMAMAのライブの感想なんですが、

全く覚えてない



日付や時系列はちゃんと覚えてるのにね。

無理もない。その日は僕の敬愛するFULLSCRATCHの復活ライブも兼ねていたし、リスペクトして止まないWRONG SCALEも出演していた。

それに加えRxの新人として地元の愛する後輩serial tv dramaが初の大舞台を踏んでいたり、


サブステージにデビュー前のtelephones.Archery Sound Systemと言った北浦和の仲間たちが何故か出演していた。

シークレットがロンスケだったのね



マジで何故だったんだ。


トピックが多すぎたのだ。


その中で自分達がトリという大役を務めたらしいのだが、それもよく覚えてない。

写真はすこし残っていた。


当時はまだ俊輔はドラムでした



この日を思い出そうとするとserial tv dramaのライブ中にふと

隣を観るとtelephonesの誠治くんが苦楽を共にした仲間の大舞台に涙ぐんでいた事


トリ前に出ていたFULLSCRATCHのライブを最後の一音まで全力でフロアでクッソダイブしながら楽しんでいたらスタッフの人に


「次出番だよ何してんの!」って腕を引っ張られたこと。



その二つのシーンははっきり覚えている。


新体制のBIGMAMAとの最初の濃い記憶はその後に行われたレーベルツアーだった気がする。


当時の僕等は「友達のバンド」とツアーを廻れる事がとにかく楽しかった。


at AnytimeやNorthern19とも周ったし。それに前述したtelephonesやArchery soud systemなんかとツアーをした。

意味もなく数台連なって移動して事故りかけたり、追い抜くたびにお互いの車に飲み物をぶっ掛けたりしていた。


楽しすぎて給油を忘れて何も無い道端でガス欠を起こしてゲラゲラ笑いながら

「そっちの車からホースでチューチューしてガソリンを移動させられないか

」なんてアホな事を本気で試していたりした。

同世代の仲間とライブハウスを回る時間が本当に好きだった。




だからこのBIGMAMAとserial tv dramaとのレーベルツアーは本当に楽しんだ。

流石に少しは先輩として飲み物ぶっ掛けたりはしてなかったと思うが。

印象的な記憶で、オフ日に群馬の健康ランドに滞在していた僕等は眠るのも惜しいくらい楽しみたかったので、何度も風呂に入り、施設内をフルに楽しんだあげくに、中で上映されていた

「フラガール」とかいう映画を二回観た。

 無駄に二回観たんだ。


少なくとも僕とシリアルのギターの奴は二回観ている。

そうそう。BIGMAMAの寡黙なベーシストは信じられないくらい映画に詳しかった。ずっとゴッドファーザーの話してた。


ライブして、遊んで、笑って。

僕は「こんな日が一生続けばいいんだ」って本気で思っていた。


僕の昔のケータイにはそのツアーで撮った3バンドのメンバーが風呂場の鏡台に一列に並んで撮った写真があった。

当然全員全裸だ。



いやそもそも色々とアウトだが、時効だと思って欲しい。
今はもう見れないけど、僕の宝物だった。



その後にあったBIGMAMAの「love and leave」って最初のフルアルバムのツアーもRIDDLEは何箇所もサポートした。

この頃には新メンバーとの2人ともだいぶ打ち解けたし、僕は前回の如くに抱腹絶倒珍道中が待ち受けてると思っていたけど、今回はなんか様子が違った。

オープン前からBIGMAMAのグッズを身に付けた子達がライブハウスの前に列を為していた。

僕等が演奏している時も前列に詰めかけているキッズ達がどうノレばいいか解らないと言った雰囲気の困った顔をしていた。



こ、これは、

売れてきとるやないかい



彼等の姿勢の変化と同時に、ハッキリとそのライブのクオリティも上がっていた。


リハーサル後の時間も、僕が「ラーメン!ラーメン!行こう」と大騒ぎするのを横目にBIGMAMAは真剣な表情でリハーサルの反省点なんかを話し合っていた。

「明日の為に今夜は打ち上げに出ない」と至極真っ当な事を言うメンバーにブーブー言ったり袖を引っ張ったりしていた。


「そんなシリアスモードばっかりじゃ楽しくないじゃん!遊ぼ!」ばっかり言ってた気がする。

彼等が遠くに行く気がして寂しかったのだと思う。


あと当時金井はよくパーカーのフードを被りながらライブをしていた。リハーサルでも被っていたような気がする。

余りにも万事に真剣なBIGMAMAに業を煮やして移動中に機材車シャッフルをして柿沼をRIDDLE号に引き摺り込んで目的地まで寝かせなかったりした。あの節はごめん。


あと印象的なのが、結構無茶なスケジュールだったにも関わらず東出さんは必ず最後まで打ち上げに出ていたし、ちゃんと盛り上げていた。偉いぜまおちゃん。


このツアーが終わる頃にはBIGMAMAは立派な‥僕等の目線から観るといわゆる「人気バンド」へとなっていた。


近しい存在だった彼等の飛躍は僕等にも少なからず影響はあった。

身も蓋も無い言い方をすると同レーベルのバンドとして開いていく差を感じたメンバーやレーベルの人と「どうしたら売れるか?」みたいなトピックが増えた。

そして身近な対象として「BIGMAMAの場合は」って言葉が頻発した。

僕はこの話題が本当に嫌だった。

若すぎて視野が狭かった。それもあるだろうけど普通に好きなバンドをそんな「観察対象」みたいな眼で観るのが嫌だった。

でも周りの期待に応えたい気持ちを信じて「これでいいのかな?」と努力してみては、溜まってくフラストレーションに「そんなん知るか!」て開き直ったり。

その繰り返し。


いつまでも機材車に飲み物をぶっ掛けてゲラゲラしてたい


思えば当時の僕はその程度のビジョンしか無かったんだと思う。


本当に売れる為には…レーベルに所属している身としてはそんなビジョンじゃダメなんだってのは解っていたけど、ひたすらな練習以外どうすればいいかも判らなかった。 
比較されたりする事に対する苛立ちは常にあった。







当時何度も思っていた事があって、

「BIGMAMAせめて悪い奴等であれよ」

って思っていた。

彼等が悪かったりズルかったりしたら、僕の捻くれた「へん!BIGMAMAがなんだい!」って感情も行き場があったのかもしれない。

でも彼等はずっと礼儀正しくて、真面目で、いい奴だった。

だから対バンの機会が無くなってきてもライブはよく観に行った。
やっぱり彼等の音楽は大好きだし、何より会いたいから笑

行き場の無い感情はすこし時間がかかったけど


「よそはよそ。うちはうち。自分達の出来る事を真剣にやる」
ってマインドに変化した。


ありがてえ。BIGMAMAが良い奴だったお陰でグレずに済んだ。


でも不思議と「また一緒にライブしたいな」とかは時間が経つにつれて思わなくなっていった



また続きます

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