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アンチソーシャルな夜

2007年くらいかな?

RX recordsから 「of newtypes 2」ってオムニバスが出たんだ。



1作目は割とRIDDLE から知り合いのカッコいいバンドに声かけて集まったメンツだから、「俺のかんがえたさいきょうのおむにばす」 感あったんだけど。


1作目のトラックリスト


2作目は所属バンドの皆んなやレーベルの人が見つけてきたバンドが参加するって聞いて「どんなバンドが入るんだろう??」ってワクワクしてた。



そこで参加バンドで初めて知ったのが 

ANTI SOCIAL STUDENT とSPACE BOYSだった。


誰かの推薦だったのか BIGMAMAとかの対バンでレーベルの人が見初めたのか。知らないバンドだあー!てワクワクしたのを覚えてる。

RXのリキッドルームでのイベントで初対面だったはずなんだけど、その日の事は覚えてない笑



その後のオムニバスツアーは記憶に残ってる。

リドル ママ シリアルが全箇所回って 場所場所でエルエー スペボ アンステ センスミス とかが出てくれたのかな


純粋で明るい彼等は直ぐに仲良くなれたし、僕らにとって可愛くて仕方の無い後輩になった。

ママやアンステ スペボ マグワンプスなんかは歳も同じで「同士」って感じでその感じも素敵だった。


当時24くらいだった僕等は

「同い年バンドがどんどん辞めていく」ウェーブに心を痛めていたのもあって余計に。

「この時間は長くは続かない」って事も知っていたのかも、だから余計に輝いて見えていたのかも


アンステはRxからリリースする事になり、そこで出たのが"future"というアルバム。
今聴いてもフックとユーモアに満ちた名作だと思う。




その後程なくして洋平(Ba)がバンドを去り、ジュンジ(現NUBO.SOBUT)が加入した。



時流的にはメロコアシーンが苦境の時期に突入していた。アンステも精力的には活動していたが、タクミ《Gt)から焦りのような物を感じていた。futureの頃のような若者の無敵感はもう無かった。同じレーベルの後輩だからこその厳しい目でも観ていたんだと思いうけど


2011年 アンステは解散した。

新宿ACBでの「半端ねぇNight」がその最後のライブだったのだが、僕らも出演していた。


僕は「ラストライブくらいちゃんとやれや持ち時間25分のイベントが最後ってどうなんだよ」ってちょっとイラついてた。


もしかしたらそんなエネルギーも残ってなかったのかもしれない。



当時の僕は基本的に再結成や復活は否定的な方だった。

「じゃあ辞めんなよ」って思ってたし、「同窓会みてえな気持ちで戻ってこられてもおめえの席はねえから」とも思ってた。


それだけバンドの為に色々犠牲にしてきた自負はあるから、リタイアしたやつが戻って来てヘラヘラしてんじゃねえって。尖ってたね〜


それが少しずつ軟化していき、最近では「もう皆んな元気で生きてたらなんでもええ」くらいに思っていた。





タクミから電話を貰い、アンステやるので出てくださいって言われた時は結構驚いた。



13年経っている。大概のバンドは10年以内くらいに復活すると思ってたし、それ以上時間が経つといよいよ需要も無くなるもんだと思っていた。

驚いた以上に嬉しかった。

その少し前に SPACE BOYSが20年の活動に一旦のケジメをつけた。



アンステが解散した後も歩みを止めなかった彼等が止まるってニュースは結構周りの仲間にも衝撃を与えた。

色んなバンドがいる。年に数回しかライブが出来ないバンドだっている。

だからわざわざ活動休止なんて選択を取らずに、やれる時にやればいいんじゃ無いか??とも思った。

最後のライブは僕も遊びに行った。
彼等がたくさんの人に、バンドマンに愛されている事を痛感した素晴らしい一夜だった。

彼等はMCで言った。

「続けようと思えば続けられるけど、目標が無い状態で続けるのは違うと思った」

何て身が引き締まる、そして何て意思の強い言葉なんだと思った。




アンステのメンバーも二人は観に来ていた。

そのしばらく後に スペボのコースケから





そうだよなあ。苦楽を共にした同い年の仲間の復活だもんそれは観たいよなあ…

でも、SAとSAの間しか運転してくれないんだ…




機材車的にはオーバーしてたのだが、コースケを連れて行きたいと思い、デカい車を別で借りて富山へ向かう事にした。

コースケは結局下道も運転してくれた。

途中上田の両親の上に寄り、朝ごはん。

ソウルパワーは僕らにとっても大事なライブハウスだ。コロナの時のnoteを読んで欲しい。








約一年ぶりのソウルパワーで、まるで20代の時のような仲間達がワイワイ再会を喜んでいるその様は、40代の僕には贅沢だった。



スペボコースケは オープンからスタートの間30分。弾き語りで前座を務めた。

つまりお客さん0からスタート

スペボの楽曲で飛び跳ねてるお客さんを観ながら、連れて来てよかったなあと思った。


RIDDLEの出番15分前に、アンステ洋平か
「あの曲やりますか?聴きたいです」とリクエストを受けた。


事前に言えや○すぞ。


とは思ったけど、まあそこはブランクなのでしょう。急遽一曲を追加した。アンステへのご祝儀だ。


ご祝儀ついでに、その曲でコースケにギターを弾いて貰った。


変則だけど、アンステもスペボと一緒にやりたかっただろうし、たまにはこうゆうのもいいね!


スペボは次いつやる?



アンステのライブは、と言うと

死ぬほど緊張していた


こっちまで緊張したが、段々と当時の勘を取り戻したのか、終盤にはまるで20代の若者かのようなフレッシュさを感じたくらいだ。

次のライブは決まっていないって。


それでも良いと思う。

20代の時の俺達は「前に進んでいるかどうか」に捉われ過ぎていたと思う。

ガムシャラにでも前進していくために小さな部品を落としているのに気が付かないで、いつしか走れなくなってしまった。

僕はそんな仲間を観ながら「這ってでも進めよ!」なんて思っていた。僕自身もう前進する為に血だらけになっていたんだ


今は違う。
前進しなくてもいいからそこに居てくれ。って強く思う。

of newtypes




音楽なんだから楽しさがまずは在って

その楽しさを柱にして、ゆっくりでも、ちょっと当時よりキレやジャンプ力に欠けても、もう2度とその名前を葬り去らないで欲しい。


そうして続けていたら、こんな涙が出そうなくらい楽しい夜に出逢える日もあるんだ。






帰りは死にかけた。みなさん北陸に行く機会があったら本当に気をつけてね。

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riddletkhr
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