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41歳バースデイライブ「I'm Just A Kid」を終えて

9/29.不肖平野崇尋 41歳になりました!!
わー!いよいよ残機少ねえ!!

40年前のRIDDLE


思えば3月に新都心でリクエストセトリライブをやった時にヘブンズロック店長道古さんに「年内もっかいくらいRIDDLE企画やりたいんですよね」って話をしたら

「あ、土日祝なら9/29が空いてる」ってなってからこのイベントが始まったんです。


そもそもら今年誕生日土日なんだ!しかも空いてる!!


じゃあやるしかないよね?!って。


この時点で7月の東名阪ツアーは決まってたから、去年と同じワンマンってのも芸が無いねぇ。誰か呼びたいバンド…ってなった時に真っ先にsoulkidsが脳裏に浮かびました。


soulkids(名古屋)


一緒にやれる事 それ自体が誕生日プレゼントになる


そんなバンドがいくつか候補が居て、なぜかその全てが「今やってないバンド」だったんですけどね笑

僕「誕生日イベントやるから出て欲しい!」

A「いやいや、うちのバンドやってないのよ」


僕「そこを何とかって話なんだよ!」


何がそこを何とかって話ですが、オファーした人達は皆んなちゃんと考えて、メンバーと話してくれて、その上でやっぱり出れない…て返事でした。

まあ、出てよ!やるよ!が出来ないから活動してない訳ですからね。当たり前だけど。


時間をめっちゃ昔に戻します。


soulkidsを知ったのは2005年とかで、ロッキンとかに載ってるインタビューを読んだのが最初でした。


バンド名から「同世代くらいのメロコアバンドかしら??」と思ってタワレコに行って試聴機に入ってる「magnolia」を聴いたんだ。

ド名盤 サブスクない



うわっ何コレ?!

てなりましたよそりゃあもう。
オルタナって書いてあるけどポップだし、歌詞はめちゃくちゃ韻を踏むし、アレンジが細部まで作り込まれてて。

何より一旦聴いたらメロディーが耳から離れない。


すぐに買って、北浦和KYARAに持ってった気がする。「やっばいバンド見つけた!!」って。

そっからKYARA内でsoulkidsブームが起こって、特に2007年に出た「アナログタウン」なんて一生KYARAのホールBGMでかかってたからね。

マジで年単位でBGMの座を占拠してた。

クソ名盤 サブスクある


打ち上げとかでsoulkids知らないバンドマンですら口ずさんでた「みっじかーいきっせーつのおーわーりっ」て。


まあでも、名古屋のバンドだし界隈が違うしで面識とかは無かった。対バンなんて出来る筈も無いと思ってたし。

ただのファン。感覚としてはSMAPとか見てる感じに近い。



2007年にFULLSCRATCHのツアーに同行して、名古屋のロックンロールに初めて行ったんだ。

リハも終えて中でボケっとしてたら、バーカウンターを掃除するスタッフの細身な男の人と目が合った。


お前…SMA……soulkidsやないかい!!


僕「あ、あの!ファンです!RIDDLEってバンドやってます!」

柴山くん「えっ、あっ、ありがとうございます。えっRIDDLE知ってます!」

みたいな感じだった記憶がある


その日それ以上話したとかは覚えて無いけど、その後しばらく経ってからRIDDLEにライブのオファーが来たんだ。

soulkidsから。


下北沢SHELTERでやる自主企画「キツネノヨメイリ」にでませんか??てお誘い。

soulkids.aieとスリーマンで。


「嬉しい!」とかより先に「なんで??!!」って思った。

勿論出たかったけど、「soulkidsを観に来るお客さんが俺達の事が好きなわけがない」って確信的に思っていたし、ドアウェー確定だよな…と不安ではあった。

でも、例え誰に望まれなくても「soulkidsと対バンした事がある人生」の方がいい!ってなった。

おそらく「キツネノヨメイリ」史上唯一のメロコアバンドだったんじゃなかろうか。


そっからはもう…「soulkidsに仲間にして貰えた」って喜びと共にバンド人生を歩んだ。

27〜8歳の柴山くんと僕



色んなとこに呼んだし、色んなとこに連れてって貰えた。

FATPROPと三バンドで回ったツアーとか。

Harf life.Feeとやった「バレンタイン大作戦」とか。

KYARAでやったツーマンとか、刺激的な思い出が沢山ある。


soulkidsは北浦和のバンド達も皆んな大好きで、

telephones,
serial tv drama.
Archery sound system

なんかも仲良くしてた。


これは本当に何故か覚えてるんだけど、serial tv dramaってバンドの「シリアルキラー」ってアルバムのレコ発北浦和がsoulkidsとArcheryだったんだけど、僕は他所でライブで行けなくて。

名盤


他所での打ち上げ中に「いつくる?」「まだ来ないの?」みたいな連絡がメチャクチャ来てて、そっちの打ち上げが終わってから北浦和に行ったよ。朝四時とかに。

そしたらもう朝日差し込み中で全裸半裸の地獄絵図だったのが凄く印象に残ってる。


ちなみにsoulkidsの「endless summertour」北浦和編は 旧店舗KYARAの動員記録だった。確か160人とか入った。

神盤。サブスクある。



つまり入れてないって事だね。60人くらいは。

RIDDLE 主催で
soulkids
QWAI
local sound style

皆んなセミくらいの活動ペースだな

もしコレを読んでる若いバンドの人が居たら、肝に銘じて欲しい。


「お客さんが喜ぶ対バン」を意識して、選んでやるのは正解だしお利口だけど。

どんなに畑違いでも、お客さんに伝わらなくても「大ファンのバンド」と一緒にやれる機会は逃しちゃダメだ!



soulkidsは2015年のバレンタインデーを最後にに活動休止した。


予感は無かったか?と言ったら嘘になる。

とゆうかこの時期は周りのバンドの休止解散が多過ぎた。皆んなが皆んな壁にぶつかっていた。

勿論自分達も含めて。

僕自身頻発するそれに慣れてしまって、バンド仲間に「実は…」で言われたら

「OK。待ってるぜ」って返せるくらいになっていた。

その日のERA パンパンだった。

下北沢ERAで対バンが
UNCHAIN
ONIGAWARA
FATPROP
RIDDLE
だったかな。

感極まったRIDDLEのメンバーがダイブしまくってsoulkidsファンの子達に顰蹙を買っていた。

soulkidsはそういうバンドじゃない!て

俺もそう思うよ



その時柴山君は「また来年のバレンタインデーに」って言ってた。言ってたんだよ!!確かに!


その日のセトリ


結局一年経っても二年経ってもsoulkidsの動向には音沙汰が無かった。

柴山くんとは頻繁に会ってた。でも彼も新しい活動が充実していたので口に出せなかった。ギギっ!

よくあってはいた



三年経ったくらいの頃に 名古屋のクラブロックンロールの25周年?ライブにsoulkidsが出ますよってニュースが流れてきた。

おい!ヌルッとやんなよ!って半ギレだった。


動揺し過ぎて共演のonionringのメンバーに「代わって」てメールしたのは覚えてる。 

羨ましかった〜





またやるのかな?と思ったらまた沈黙。

ヤキモキさせるねえ〜とは思いながらも。これでまた一緒にやれる未来があるかもしれないな?って事に嬉しくなった。


2021年に名古屋のアポロシアターが閉店する事になり、soulkidsが企画を最後にするってタイミングでRIDDLEを呼んでもらえた。


歴史上最速の返事だと思う。




2021年のハイライトってくらい思い出深い夜になった。


soulkidsがやる理由のために名古屋中のライブハウス一旦閉店しよ?て思うくらい楽しかった

さようならアポロシアター。


「次はRIDDLEが呼ぶね?!だってsoulkids復活してから一回も関東でやってないからね!!」って約束もした。


そこから何回か soulkidsオファー→スケジュールNG。を繰り返しまして笑

気づいたらあの下北沢ERAの活動休止ライブから約10年の時間が経っていた。


あの日「OK 待ってるぜ」なんてかっこつけてた僕自身も 正直10年後にバンドをやってるなんて思いもしなかったし。まさかRIDDLEをまだやってるなんて想像もしていなった。


でも、やってこれた。不思議なものだ。


10年も経つと、SNSでsoulkidsの名前を出す人も減ってきた。

僕たちとLAST ALLIANCE松村さんを除いては。

彼等を尊敬し続けて、バンドを止めずに続けて来た僕には言う権利があると思っていた。

「soulkidsの復活を、俺にプレゼントしてくれ」



今回何度目かの正直で柴山くんから「ソウルキッズ行けます!!」て返事来た時は跳ね上がった。誇張ではなく「跳ねて」「上がった」



この時点で最高の誕生日プレゼントを貰った気持ちになっていた。


2015年以来数年に一回のライブしかしてないsoulkidsは結構弱気になっていて、ツーマンはプレッシャーだ…って感じだったので、じゃあもう一バンドくらい呼ぼうかな?てなった。


誕生日イベントだし、RIDDLEは勿論。スリーマンならsoulkidsとも関係性の深いバンドじゃないとな…


いやー誰も碌に活動してないなあ



なんて思っていた時に、柴山くんからあるバンドの名前が出た。

「そのバンドは二億パー無理だと思うけど〜。あ、待てよ。新しいバンド始めんだよなアイツ」

俊輔(RIDDLEベース)に連絡。

「シアンカ・ウーやろう」


シアンカ・ウーは数年前から俊輔が始めたバンドで、水面下での活動が長かったが昨年ようやく水面から顔を出し


そしてまた水没していたバンド。



ウーさん(Vo)は僕らと20年近い仲だし、soulkidsとも縁深い。過去のバンドで共演も何度もしている。


そしてここらで誰かが引っ張らないとこのまま水没する気配があった。良いバンドなので勿体無いとおもっていたのもある。




迎えた9/29
41歳のバースデイ



来てくれた皆さん本当にありがとうございました。



バンド活動において「自分たちが楽しめるかどうか」のウェイトはバンドによりけりだと思いますが、RIDDLEにとってはそれは本当に重要で

シアンカのリハを眺める筆者 photo by さとみん。つうかコレ以降全ての写真がby さとみん


ここまで続けて来れたそれぞれのストーリーが、絡んで巡ってこの日があったんだと思います。 観る人に伝わっているかは別として、僕等にはそれがステージに立つ要素として本当に重要なんです。

ニヤニヤしながらリハを眺める。





夏の20周年ツアーの裏ファイナルのようでもあり、どこかピースフルな、どこかくだけた多幸感に満ちた時間になりました。

ウーさん。彼の歌声がまた聴ける日が来るなんて思いもしなかった。
シアンカ・ウー。 俊輔はダブルヘッダー


俊輔はシアンカだと綺麗目な服を着る


soulkidsだ…本物だ…




soulkidsのライブ中。滝のような涙を流してしまった。恥ずかしかったけど止まらなかった。

10年間この日を夢見てたんだもんなあ。許して欲しいよ今日くらいは。



神セトリ超えて。悪魔。


地元の旧いバンド仲間が隣に来て肩を組んでこう言った

「たっくん(地元の呼び名)!!本当によかったね!!」


最高のプレゼントをありがとう。soulkids


soulkidsはさ。今からでもバズれるんじゃねーかな?

本気でそう思う。楽曲の素晴らしさがやっばり桁違いだし、soulkidsが作ってきた道から世に羽ばたいていったバンドがどれだけいることか。


あのとき勇気だして話しかけて良かった。、
ジャンルの違いとか界隈の違いとかを超えて、俺たちを仲間にしてくれてありがとう。


僕たちを音楽家にしてくれたのは soulkidsだよ。



転換中に客席から

「RIDDLEどんなセトリだろ?soulkidsとツアーしてた頃の曲メインかな?」

「激しさ抑えめでエモい曲多めの感じじゃ無いかな?」

なんて聞こえた。

さてさて。どう出るかな?
残念でした!!


ゴリゴリでした



結果新曲多目のいつもと同じくらい、もしかしたらいつもより激しいセトリになった。



新曲を沢山やるっていうのは矜持。僕たちは現役のバンドなんだっていうね。

先日のウエストから8曲もセトリ入れ替えるのは結構大変だったけど、初披露の曲も出来てよかった。

41歳になったボーカル
同じく41歳になったベース
38歳のドラム
33歳のサポートギター
21歳のメロコアバンド
1秒も楽しく無い時間が無かった。


おそらく最初で最後の双子の肩組み入場


41年連れ添った彼もおめでとう




これからも頑張ります。
20年間で回収出来てない伏線みたいな物がまだまだ沢山あるし、なんなら今も増え続けている。


こないだ買ったcomeback kidのTシャツ



41歳。ステージに立つ身としては結構ギリギリな年齢かもしれないけど、これからもシャカリキ飛び跳ねます。


我ながら良い顔してます
終演後。我ながらゴミみたいな顔してます。



俺たちはバンドメイトを超えて、ファミリーだよ。

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riddletkhr
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