お父さん(仮)
幼稚園の時に母と父は離婚した。
養育費などは払わず父はどこかに消えた。
仕事で帰りが遅い母を家で待つのは慣れた
電話も一丁前に取れる
インターホンが鳴ったら上手に居留守を使う
そんな時に一本の電話がかかってきた。
小学校3年生のときかな、、
声色を変えてお母さんの真似をして電話に出る
お母さんいるかな?と子供扱いされないように
自分が子供だとバレたらダメゲーム!なんて
自分でルールを決めて電話に出ていた。
電話を取ったが何も声も音も聞こえない
お母さんはそんな時、「もしもし!?どちら様ですか!?」と強気で対応していた
私も真似をしてみた
きっと電話をかけてきた相手もびっくりするだろ〜う(笑)
そんなことを思いながら
少しの沈黙が続いて、電話の向こうの人は
か細い声で「〇〇ちゃん?」
一瞬で血の気が引いて震えが止まらなくなった
男の人の声、知らない人、私の名前を知ってる
すぐさま電話を切った
お母さんが帰ってくるまでが地獄だった。
お母さんが帰ってきて知らない男の人から電話がきた事、私の名前を知ってたことを伝えた。
お母さんはきっとそれはお父さんだよ〜!って軽く返事をしてきた
子供ながらに離婚がどうゆうことかは理解したし、お父さんに会いたいなんて言ったらお母さんを困らせることも分かっていた。〇〇ちゃん家ってお父さんいないんでしょ〜!?なんて学校ではよくからかわれた。
その電話がきて気がついた
父親という存在を自分自身で消していたこと。
そこからは毎日お留守番が怖かった
お父さんがもしかしたら家にくるかも、また電話がかかってくるかもしれない、とにかく怖かった
顔も思い出せない、電話越しに聞いた声は初めて聞いたような声だった、お父さんじゃなかったらどうしよう、そもそも私にお父さんなんているのか
お母さんが絶対に見せてくれなかった昔のアルバムを引っ張り出して確認した
小さな小さな私を抱えるお父さんの顔を
それから少ししてお母さんからお父さんと月に一回会ってみないか、そう提案をされた
最初は凄く嫌で嫌で仕方なかった
でも会えば養育費をくれる!母が嬉しそうな顔をしていて、断るに断れなかった。
それからいつまでだろうか、
確か高校2年生頃まで、月に一回父に会い
養育費をもらっていた。
それが嫌で嫌でたまらなかった。
会う前の日には暴れて泣き叫んで、会うことを嫌がった、会えばお金がもらえることも分かってた、それでも嫌で嫌で会うのを辞めた。
母が亡くなった時、世界で一人ぼっちになった気がした。私だけが孤独な気がした。
誰かに助けて欲しかった。
お父さんの連絡先を引っ張り出して
泣きながらお母さんが亡くなったことを伝えた。
お父さんも泣いてくれた。
私にはまだ家族がいる。そう感じた。
母には借金があって一人っ子の私が全部それを引き受けることになった。
人が亡くなる時ってお金がすごくかかることを知った。
私と旦那の2人じゃどうすることも出来なかった
お母さんが火葬される前に
お父さんは会いにきてくれた。
凄く凄く嬉しかった。
頼れる人がいなかったから思い切って相談をした。
お母さんの借金があること、火葬や納骨様々な事でお金がかかる事、頼れる人がいない事、少しでも助けてほしい。
心のどこかでお母さんとお父さんは離れ離れになってしまったけど、娘の私の事は助けてくれる、そんな事を思っていた。
父はティッシュに包んだ一万円を渡してきた。
旦那さんとこれで美味しいご飯を食べて
そう言ってその場から消えていった。
血の繋がった家族であるはずなんだ
私を可愛がってくれたはずなんだ
家族なら助けてくれるはずなんだ
お母さんは亡くなってしまった、
私はまだ生きている。
私のお父さんも生きている。
私にとってはお父さんであるけど
お父さんにとってはもう私のお父さんではない
私とお父さん(仮)のお話。