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大学生の僕が、起業という選択肢を決断するまで。
水元陸大です。こだわって書いた自己紹介のnoteはこちらです!
僕は今、現役の大学生です。
そしてFroom(フルーム)という会社を立ち上げる予定です。
「始まりは一室の部屋から」と「空間を作る」という思いを込めた名前です。「From Room」を一つにしました。結構気に入っています。
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起業という選択肢。
これまでクソほど迷って、遠回りして、何でもかんでもやってきては失敗してきて、どれだけ無謀で能力不足かは痛いほどわかっています。
でも諦めたくないと、2019年の9月に起業をするという決断をしました。今回は、その決断に至るまでの約1年半の壮絶な遠回りを書きました。
拙い文章ではありますが読んでくれたら嬉しいです。
Froomとはどんな会社か?
まずは簡単にFroomの説明をします。詳しい事業内容は今回は省略して、僕たちが目指したい先を書かせてください。
Froomとは
「子どもたちが活き活きと未来を思い描き、実現していける社会」をビジョンに掲げ、教育分野の課題をテクノロジーを使って解決するエドテック企業です。
Froomの創業時点でのミッションは、以下のように定義しています。
「常に一歩先へ、その選択を正解にする」
世の中は分からないことばかりです。迷ってばかりです。進路はどうしよう。大学は県内かそれとも私立か。自分は何がしたいんだろう。そんなんばっかりです。でも、決める前に100%どっちの選択が正しいかなんてわかりません。
最初から正解は分からない。それなら、いいなと思った方を思い切って選択してしまおう。その選択肢を考え抜き、努力し、仲間と力を合わせてその選択を選んでよかったと自分が自信を持って言い切れるようにしよう。自分で選択を正解にしてしまおう。そんな風に思える人がもっと増えて欲しいと思っています。
少しだけ長いこれまでの話。
少しだけ自分の話をさせてください。
1999年2月15日、朝の早い時間に僕は生まれました。「スターウォーズ1」が公開された年です。ちなみに僕が生まれる約2週間前に橋本環奈が生まれています。1000年に一度の奇跡が起こりました。
小さい頃からプールが好きで、「あんたの前世はサカナね」と良く親に言われていました。小学校ではスイミングスクールに通いました。卒業式では「オリンピックで金メダルを取る!」と宣言しました。実現するのはまだ遠い先です。
勉強は嫌いだったので、友達とゲームの話をするために学校に行っていました。あとはよく本を読んでいました。
中学校に上がってからの最大の転機は、地元の学習塾に通い始めたことでした。日曜日以外は、毎日授業のある塾でした。もちろん毎日宿題が出されるので、明日の分の宿題を終わらせてから帰るのが常でした。高校1年生でその塾は卒業しましたが、今でも遊びに行くほど大好きな塾です。
毎日の塾と、宿題とを(イヤイヤ)こなしていると、今まで30~40点台しかテストでとったことがなかった英語が、なんと「平均点」に。当時の僕にとって「平均点」の壁はあまりにも大きく乗り越える気持ちすらありませんでした。
「あれ、もしかして俺ってやればできるんじゃね?」
そんな風に勘違いをし始めた少年は、どんどん英語にハマっていきます。めちゃくちゃ単語覚えたし、教科書の本文は見なくても言えるくらい読み込みました。それから僕は、英語だけ80~90点(それ以外は平均点)の男になっていきました。勉強って意外に楽しいかもしれん。そんな風に思い始めました。
同級生はみんな頭が良かったので、中学では最高でも60/200位が限界でした。
それから僕は、その塾の先生みたいに「かっこいい先生」になりたいという気持ちで、先生を目指すようになりました。
愛知教育大学に進学しようと、附属高校に一般受験で無事入学しました。
高校に入学して最初のテスト「クラス2/40位 学年10/200位」という結果。
「やっぱり俺って、やればできるかもしれん!」
「クラス2位・学年10位」という響きが僕にとっては快感でした。クラス1位になってやる!とさらに上を目指す決意を固めました。それから僕は、勉強に打ち込むようになっていきました。
単語帳を持って6:16の電車に乗り、7:30に学校に到着。授業が終わるとダッシュで帰り道へと急ぎ、17:00くらいには塾へ到着。毎日22:00まで勉強しました。
高校1年生の冬、僕は志望校を変えました。今まで一般受験で合格者が出たことがない名古屋大学の教育学部です。
「教員になることを目指す」よりも、「教育や他にもいろんなことを学んでから教員になる」方が魅力的だと感じたからです。学びの環境として恵まれているか調べた時に見つけたのが、名古屋大学の教育学部でした。
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2017年の3月に、僕の大学受験は終わりました。
いろんな人から無理と言われたりしましたが、今では無事に名大生です。
(この記事から今でも高校生に連絡もらったりします笑)
42回生にして初めての名大合格はプチ自慢だったりします。
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憧れの名古屋大学。どんなことを学べるんだろう・どんな人に出会えるんだろうと期待して入学しました。いろんなことを経験して、将来の役に立つことをたくさん学びたいと思っていました。
そんな僕でしたが、入学してすぐに気づいたことが2つありました。
「あんまりみんな、学びたいと思っていないんだな」
「大学の授業って、つまらないんだな」
ということです。
あんまりみんな、学びたいと思っていないんだな
僕が通っていた高校では名大といえば、口にするのも億劫になってしまう恐れ多い大学でした。そんな高校で育ってきたので、「どんな面白い人がいるんだろう」という期待は、人一倍大きかったです。
でも実際に入学してみると「京大には行けなさそうだから、少し妥協して名大」とか「うちの高校じゃ名大なんて○人もいるよ」とかってやつばっかり。ギリギリで入学した僕からしたら「やべえ奴ら」がごろごろいました。
でも「やべえ奴ら」はどうやら大学での学びには興味はなく、いかに楽しい大学生活にして、最低限の努力で単位を手に入れて、それなりの幸せを求めている人がたくさんでした。
もちろんそれが悪いことだとは思いませんし、僕もみんなと同じように楽しさ重視の大学生活を送っていました。でもたまにはイベントに行ったり真面目に語りたい自分にとっては、居心地が良いとは言い切れませんでした。
大学の授業って、つまらないんだな
もう一つは「大学の授業ってつまらないな」という気持ちです。何に役に立つかも、なぜ今学ぶ必要があるのかもわからない話を、90分延々と聞かされ続ける時間。とりあえず提出すれば単位になる出席用紙やレポートなど、全てに意味を感じませんでした。それなら学外でのイベントや活動をして、本やインターネットで学ぶ方がマシじゃないか。そんな風に思っていました。
気が付けば大学の授業はサボるようになっていき、成績は綺麗な右肩下がりを描き、単位すら拾えなくなってしまいました。
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(余談です)
今思うと、の話です。
自分がもっといろんなことを学んで、いろんな活動をして、「俺と一緒に面白いことやろう!」と勇気を出して言えていたら、と思います。全て自分が弱かったからだと思っています。
大学の授業もそうです。学びたいことを明らかにして取り組んでいたら、主体性を持って講義に参加していたら。教授にもっと教えてくださいと研究室まで訪れていたら。きっとより濃くて面白いと思って学べていたかもしれません。
当時は「人のせい・環境のせい」にしていました。もっと「自分のせい」と思えていたら、と思います。「他責」ではなく「自責」で考えられていたら、そんな風に今は思っています。
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起業という選択肢・師匠との出会い
当時僕は、愛知教育大学で大学生と高校生、大学生同士を繋ぐ活動をしている友人と名大版を作ろうと思っていました。その友人が「面白い名大生の先輩に出会った。陸大も居て欲しいから、一緒に来て!」とよく分からない先輩の元へ連れて行かれました。
「俺、高橋亮祐です!オードリーの若林に似てるってよく言われるんすよ!よろしく!」
そこに居たのは、今でも本当にお世話になっている、僕の師匠的な存在になる方でした。
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高橋亮祐さんは、同じ大学というつながりで度々自分と会って話してくれました。夜景の見えるオフィスに連れて行ってくれたり、インタビューで話を聞かせてくれる時間をもらったり。会うたびにいろんな話を聞かせてくれて、僕の世界は広がっていきました。
「起業する」って選択を知ったのは、その先輩からいろんな話を聞いていた時でした。
何の話が自分に刺さったのかは覚えていません。働き方とか意思決定とか、全部自分でできるよ・自由だよってことに魅力を感じたのかもしれませんし、ストックオプションの制度に興奮したのかもしれません(今思うとそんなに都合が良くて楽なものではないとわかっています)。
ただ覚えているのは「そんな選択肢があるんだ」ということでした。
自分の両親は普通の会社員だし、自分は教員になるものだと思って育ちました。自分もそこに対して何も疑いは持っていませんでした。強いて言うなら、なんかもっと自分は特別な存在だと思ってたけど、全然そんなことはないんだってことでした。
なんとなく教員を志すのに違和感を覚えて、中学生からなんとなく目指していた教員も結局やめることにしたのは「このまま俺、教員になっても、救えるのは世界中のほんの一部の人だけだ」ってことでした。目の前にいる課題を持った子だけでなく、目の前にはいないけど、どこかには存在する課題を持った子を救いたいと思いました。エゴかもしれないし、自分にそれができるかはわかりません。でも、起業という選択はもしかしたら、それを実現できる手段かもしれない。なんて風に、亮祐さんと出会って1年以上経っても、自分の中に可能性として残り続けました。
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1年間の休学・半年間のインターン
このまま大学に通っていても、自分は意味を見つけられず、きっとサボってしまう。どっかで単位が足りなくて留年してしまうな。それなら休学しても同じだな。そう思って大学を休学しました。正直ネガティブな理由からの休学でした。
とはいえ家族に話すには「インターンしたいんだよね」って理由をつけるため半年間の長期インターンを過ごしました。週の半分をインターンして、残りの半分を読書や遊び・デートなどの時間で過ごしていました。
起業という選択肢がなんとなく自分の中にありながらも、それでも普通の生活を送っていました。
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インターンをしながら「なんとなくこのままでいいのかな」って気持ちがありました。インターンの期間中はなんとなく師匠に会うのが億劫になっていました。こんな自分を見て、失望してほしくないという気持ちがあったからです。このままじゃダメだ。きちんと時間を作って自分と向き合わなくちゃ。そんなことを考えていたら、インターンを卒業しようという決心を固めました。
(インターンの6ヶ月間のことは、「半年間の長期インターンを経て」というnoteに書いています。合わせて読んでいただけたら嬉しいです)
9月になってインターンを卒業して、人と会う約束も抱えている仕事もなくなった僕は、圧倒的な暇を手に入れました。自分と向き合う時間を設けて、自分と対話をしました。
そんな時に自分の中に湧いてきたのが「自分で事業を創りたい」という思いでした。むしろ、自分の中にあった気持ちに正直になった、という方が正しいかもしれません。
自分が師匠にしてもらったみたいに、いろんな選択肢の中から未来を思い描き、自分で実現していけるような世界に少しでも貢献したい!
自分がしてもらってきたことを、今度は次の人に繋いでいきたい!
今言葉にできるのは、自分のそんな気持ちです。
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なぜFroomを立ち上げるのか
ここまでずっと、自分のこれまでの話をしてきました。
なぜFroomを立ち上げるのか、です。
勉強が嫌いだった過去から、僕は環境に恵まれて、今こうして自分の未来を自分で選ぶことができています。
もし塾に通うことができなかったら、学びを楽しめることなく、限られた選択肢の中でしか未来を描けなかったかもしれません。
自分はたまたま、環境に恵まれました。でも、世の中には自分とは違って、環境に恵まれない人がいると思います。
これはエゴかもしれません。本人は望んでいないかもしれません。でも僕は、あの時塾に通い、学びを楽しいと思い、主体的に将来を選択をすることができました。僕はそうできて本当に幸せ者だと思っています。
僕はいろんな人のおかげでここまで来ることができました。その人たちへの恩返しとして、僕みたいな人たちを救いたい。
そんな思いで、Froomを立ち上げることにしました。
最後に
せめて思いだけは言葉にしたいと思っていました。思いの解像度、レベル、深く考えられているか、正直まだまだです。まだまだ過ぎます。
最後になりますが、僕は起業家として、経営者の道を選びます。
Froomのミッションにもあるように、常に一歩先へ、その選択を正解にしていきます。
子どもたちが活き活きと未来を思い描き、実現していける社会を目指していきます!
2019年10月10日 Froom代表 水元陸大
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