福祉の「明るさ」に最低限必要なこと
はじめての記事が苦言で申し訳ないと思いつつ。。
ricorico1214、主戦場はamebaなのだけど、おかしな改行をしないで書ける場所として、こちらにもお邪魔することにした、という前置きで、
福祉業界の末席にいて、なんとネタの豊富な毎日だろうとは思う。興味深いし、発見もある。けど、それをブログに自分のことのように書いていいのかといわれると、即答でNOといえる。
わしらに対し、クライエントは自分のことをネタとして提供しているわけではないし、仮に本人が了承していたとしても、全世界にツマビラカに公開するのはいかがなものかという自己抑制が働く。単純に、自分がそうされたらいやだからだ。
なので、ケアラーとして気づいたことは書くけれども、クライエントのことは「これでもか!」というほどコテコテに脚色して跡形もなくし、どこの誰だか絶対に推測できないMr.X、Mrs.X&othersであるように素性を隠す。それでも勝手にネタにすることには、ある種の罪悪感はいつも覚える。
とある認知症ブログで、この疾患を「不可逆で悲惨な末路をたどる最悪の精神疾患」とはとらえない、むしろ楽しい明るいもので、明るい介護者のワタシ、っていうスタンスなのがあって、フォローしてきたのでフォローし返した。
が、内容をよく読んでみたら、その明るさは、「認知症になるとこんなことするんですよぉ」「スンゴイですよね、笑っちゃいますよね~」と嘲笑と侮蔑を多分に含んだ書きぶりで、、
違和感と嫌悪感。なんていうんだろう。
書き手に自覚がないのでなおタチが悪い。
認知症、がん、難病等々を「明るくとらえる」という観点はいいんだけど、それを「コバカにすること」とカン違いする思慮の浅い書き手で、読み手としては不快になるし、怒りも感じる。愛情があるからコバカにもできるんですよという言い訳が透けて見えるから、なおさら腹が立つ。愛情があったら相手を貶めるはずないだろ。たとえ家族であっても、だ。
そして同時に、書かれた対象者が心配にもなる。こんなに個人情報丸晒しにして大丈夫なんか? しかも、似顔絵付きで。。
相手が認知症だから、読めないから、通じないから、疾患特有の反応や行動をおもしろおかしく書いていいという理屈は成り立たない。本人が読んで「うん、大丈夫」「これならいいよ」というだろうという書き方と内容でなければ、公開しないのが書き手の倫理じゃないのか。
施設従事者が「うちら楽しく明るい介護♪」と認識していて、傍から見たら凶悪な虐待だったなんて事例は山のようにある。笑い、おもしろさ、というのは時として狂気であり、凶器にもなり得る。
福祉の「明るさ」は、存在に対する畏敬の念みたいなものが根底になければならない。人生に対し、人間に対し、敬意や愛情がなければ、その「明るさ」は自己満足であり、欺瞞だ。
なりたくて認知症になる人はいないし、コバカにされて嬉しい人だっていない。その視点ががっさり抜け落ちた書き手の文章は、読んでいて胸がざわざわする。「蔑んでなんていません!」と反論するんだったら、誰が読んでも蔑んでいないと伝わる文章を書きなよと言いたい。読み手のせいじゃないからね、と。
そんなわけで、さっきフォローをはずしてきました。けっこうなアクセス数の人気ブログなんだそうですけど、私はそういう書き手の文章を読みたいとは思わない。
つぶやきですませようとしたら、140字でおさまりきらなかった笑 長々と、トゲトゲした口調ですみません。よければ以後お見知りおきをば。
ricorico1214
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