髙島野十郎の『春雨』
何でもないような、どこにでもありそうな野辺の風景なのに、なぜ私の魂の在り処を意識させられるのだろう。
画家の髙島野十郎が何を思って描いたのかは知らないし、この絵を見て自身の魂について考えるのは私くらいかもしれないが。
『春雨』と題された絵。
細かな雨が描かれたこの絵を見ていると、小枝や枯れ草に雨が落ちる音や、泥濘を歩く自身の足音さえ聞こえてくる。
何もない。枯れ草に落葉樹。何かの屋根。人が住んでいるかも空き家なのかもただの納屋なのかも分からない。見える範囲に畑があるわけでもなく、生活の匂いのしない、荒れかけの風景。そこにしとしと、雨がふる。