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第3話 娘が不登校になりまして。
役所には元妻と二人で離婚届を出しにいきました。
婚姻届は二人で出す人が多いだろうけど、離婚届ってどうなんだろう?
そんなことを思いながらも、元妻も離婚後の手続き、シングルマザーへのサポートなどを聞きたかったらしく一緒に役所へ。
毎日何組も離婚するのだろうから、事務的にことは進むのだろうなとは思っていたけど、はたしてそのとおり確認事項だけ確認を受けて離婚届は受理。問題がなければそのまま成立すると。Tのミミズの這ったような字だけが気になったけど、きっと大丈夫だろう。
これで他人か。
大分前のことですが、イベントで赤坂プリンスホテルの裏導線のエレベーターに乗っていたら石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんが乗ってきました。
あっ、と思ったものの、素知らぬ顔をしていると、向こうも別段こちらを気にかけるわけでもなく、超どうでもいいような普通の夫婦の会話みたいな話をしていました。
翌日テレビをつけてみると、なんとその日にお二人が赤プリで離婚会見を開いていたのでした。
そのニュースを見て「そうか、離婚するといっても、あれだけの熟年カップルだと淡々としたものだな」という感想を持ったのを覚えています。
当時のお二人の年齢にまではいっていないものの、僕らも立派な中年離婚。淡々としたものだな。
しかし僕らにとっては淡々としていても、もう一人の大切な当事者にとっては淡々では済まされない問題でした。
そう、娘にとってです。
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妻から離婚を持ちかけられ、その旨承諾すると、娘にはすぐに話しをしました。大きく2点。離婚の理由と、離婚しても同居は続け実質の生活は変わらないという話です。
当然娘はショックだったでしょう。
僕らが時々派手な喧嘩をすると、さり気なく間に入ってきたものでした。似たような経験は僕自身にも元妻にもあり、それが決して楽しい体験ではないということもわかっていました。
本人としては身を挺して二人の仲を取り持っているような感覚だったのでしょう。
でもそれも適わず離婚を通告されたわけです。そりゃショックです。
もちろん僕らは娘へのケアを最優先していたつもりです。
伝え方にも細心の注意を払っていました。
だから娘が首を「これまでと生活は変わらない」という条件で首を縦に振ってくれたときは、よかったと安堵したものでした。
でも娘の気持ちなんて全然わかっていなかった。
翌週のある朝から突然、娘は朝起きられなくなり学校にいけなくなってしまったのです。
原因の本当のところなんて誰にもわかりません。ただ今振り返ってみると、娘は11歳にしては大人びたところがありました。
僕と元妻が限界だということは、大人の判断としてはわかっていたのだと思います。だから離婚を受け入れてくれた。
でも頭で考えるのと11歳の少女の心は別です。
やっぱりショックだったんだろうなぁ。
彼女は大人で気遣いなので、突如学校にいけなくなった理由を離婚のせいにはしません。いや、もしかしたら本人にもその因果関係はわからなかったのかも知れません。
でも誰がみても突然の不登校は離婚が原因だというのは一目瞭然です。
僕ら(元)夫婦は、もともと学校生活や登校について口やかましくいう方ではありませんでした。極論休みたければ休んでもいいとさえ言っていました(帳尻さえ合わせれば)。
だから学校にいけなくなった娘に対して強く何かをいうことはありませんだしたが、それでもそれが続いて引きこもりになることに対する一抹の不安はあったので、娘とのコミュニケーションをしっかりとるようにしました。
でもとにかく朝起きられない。まったくベッドから出られない。
仮病とかそういうのではなく、体がいうことをきかない感じです。心の問題なのかも知れませんが、とにかく体が動かない。
と同時に、娘自身も学校にいけなくなって勉強に遅れることに少しずつ不安を感じています。
そんなとき、学校は本当によくしてくれました。
担任と副校長先生がこまめに連絡をとってくださり、少しでも娘が学校に来やすい環境を整えてくれたのです。教室に行くのが大変だったら、と別室を用意してくださり、毎日娘一人のために別室とそこを見てくださる方をつけてくれたのです。
本当に感謝です。
お陰様で、娘は教室に行くことはなかなかできるようになりませんでしたが、その別室には通えるようになってきました。
朝も起きられるときと、そうじゃない時もありましたが、起きると学校に向かうようになったのです。
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結論をいうと、途中夏休みを挟みながらその登校スタイルは、結局引っ越しをするまで続きました。
そして引っ越した先では普通に登校できるようになりました。
なぜ彼女が学校にいけなくなったのか、どうして引っ越し先では普通にいけるようになったのかについて、なにかの考察を与えられるような立場ではありませんし、その考察はあまり意味のないことだとは思います。
それでもただ一つ間違いないのは、僕らの離婚が少女の心を大きく傷つけてしまったということです。どこかで自分たちの離婚を優先させてしまい、離婚届になかなかサインしようとしなかったTのようにしっかりと寄り添い切ることができなかったのです。これは猛省です。
でも事実は起きてしまった。
となると、僕らはこの離婚を幸せな離婚にするという形でしか娘に対する誠実さを示すことはできないだろうな。
一人になった今も、このことだけは忘れず生きていこうと思う。
(つづく)