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焚き火ごはん@鴨志田農園



ゆかいな主催者たち


先日、子どもたちと子どもたちのお友達を連れて、CSA(Community Supported Agriculture)農家であり、「コンポストアドバイザー」の鴨志田さんと、鴨志田さんのお友達で「旅する料理人」の三上奈緒さん主催の「焚き火ごはん」の会に行きました。
鴨志田さんは、約2年前からお世話になっている、自宅から自転車で5分ほどの農家さんです。月に2回、野菜をいただき、家で出た野菜の生ごみを鴨志田さん特製のコンポストに入れて一次処理をし、それを鴨志田さんのお家に持っていって完熟堆肥にしてもらい、その土で野菜を育ててもらい、その野菜をまたいただきます。CSAの農家さんと会員で、循環する食のコミュニティをつくられています。
三上奈緒さん(奈緒ちゃん)は、全国様々な土地を旅しながら、大好きな生産者さんの食材を使ってワイルドな「ごはん」をとどけていらっしゃる方です。

吊るされた鹿の肉


鴨志田さんの畑に着いて驚いたのは、キゥイフルーツの木の下に肉が吊るされていたことでした。鹿の太ももからスネとのことでした。焼き色が「おいしいよー」と語っていました。

さらに、燃やしていたのは、キャンプ用品店で購入した炭ではなく、鴨志田家の柿の枝とのことでした。「あるものをつかう」精神がここにもありました。

吊るされた鹿のモモと、パエリア用の焚き火をつくる奈緒ちゃん

大きな大きなパエリアパン

実は、私がこの日一番テンションが上がったのは、大きな大きなパエリアパンを見たときかもしれません。そんなパエリアパンに、鴨志田さんの畑で採れた野菜をみんなで切ったり千切ったりして、豪快にぶちこんでいきます。
パエリアは、ご飯にイカやエビを混ぜ込み、ムール貝を上に飾るものだと思っていましたが、この日のパエリアに入っていたのは、大根、人参、ピーマン、甘長とうがらし、生姜、ニンニク、大根の葉っぱ等、「畑にあるもの、全部入れていました」のような勢いでした。

パエリアにぶち込まれた鴨志田さんの野菜

5人の給食係たち


実は、うちの子とそのお友達は、この日、パエリアのお手伝いにも野菜の収穫にも全く興味を示さず、調理中は近くの公園で遊んでいました。親としては、せっかくの機会なのにいつもの公園で遊ぶ子どもたちを見て残念な気持ちでいっぱいになっていました。

ところが、「もうすぐパエリアできるよー」と連れ戻し、しばらくして配膳の時間になると、「お肉切りたーい」、「給食係やりたーい」と、突然やる気になりました。

子どもたちは、まず、奈緒ちゃんが鹿のモモの筋肉に沿ってナイフを入れてブロックに切り分けてくれるのを見たあと、ブロックのお肉をスライスにしたり、大きなパエリアパンを混ぜ返したり、みんなの分をよそったりしました。

お肉は、どこかの工場で種を蒔いて作られた訳ではなく、動物の命をいただいていることを感じてくれるとよいなと思いました。あとで聞いたところ、こんな塊のお肉を見たのははじめてとのことでしたが、残念ながら、命をいただいているとは感じてくれなかったようです。

吊るされていたモモは絶品の焼き色になり、まな板へ
大きな大きなパエリアパンからみんなにパエリアをよそう給食係。真ん中は他の家の子

ごはんの味

みんなの分をよそったあと、最後に自分たちのをよそい、給食係を頑張ったお礼にポテトとお肉を2つずついただき、少し冷めてしまっていましたが、やっとごはんにありつくことができました。鴨志田さんの畑で食べる野菜たっぷりパエリアは、大根が甘くて、おこげが絶妙でした。
鹿肉は、ジビエの味というのか、山の味というのかがぎゅっと詰まっていて美味しかったです。
サイドディッシュのポテト、ラディッシュのサルサも美味しく、「生きてる」味がしました。

虫と共存できる?

畑で食べている途中、カメムシが2匹と2mm程の虫が1匹出てきて、子どもたちは大騒ぎになりました。特に、お友達は「ムシ」を見慣れていないのでしょう。「いやだー」と言って逃げて、それ以降、食もすすみませんでした。

普段、我々は、スーパーできれいに洗われた、虫食いのない野菜を買います。ここから野菜と虫の関係、野菜と土の関係を想像することはできません。でも、それでよいのでしょうか。将来、野菜は巨額の投資を得たスタートアップや老舗企業がつくった植物工場で、精緻に管理されて作られるようになるかもしれません。それでよいのでしょうか。

野菜は畑の土で作られていることや、畑には虫がいること、地球には人間以外の様々な生物が共存していることに対して子どもたちが興味をもつのが難しいことについて、複雑な気持ちになりました。

私も子どものときは家の裏に畑があり、晩御飯作りは畑での野菜の収穫からはじまるような環境だったにも関わらず、野菜には全く興味はなく、虫も好きではありませんでした。しかし、共存していることは理解していたのではと思います。

対話の時間

ご飯を食べた後、鴨志田さん、奈緒ちゃんと参加者の皆さんで輪になってお話をする時間がありました。とても豊かな時間でした。

奈緒ちゃんは、大好きな人がつくった食材を、みんなで料理をして、「同じ窯の飯をみんなで食べ」、美味しいと言ってもらうことが最高に幸せとおっしゃっていました。また、IHのキッチンが普及し、火を使うことで進化した人間が、今度は、火を使わなくなっていることについて、「人間は退化しているのではと思う」「正しく火を使うことを学ぶことが大切」とのことで、確かにそうかもしれないと思いました。火事を経験した方にとっては絶対に火はイヤかもしれないですし、うちはガスコンロですがひねるとつくので、「火を使っている」ことになるのかは分かりませんが、改めて「火」について考えました。

「私たちは時間に追われることが多いけれど、創造は、このように人が集まってたわいもない話をする、余白の時間から生まれる」という奈緒ちゃんの言葉にもはっとしました。私も、子どもがぼーっとしていたり遊んでいると、「何してるの!!」、「時計を見ながら動くよ!!」とよく言います。その時間を何のために使いたいのか、その時間は自分にとってどのように大切なのか、改めて考えました。

一方、鴨志田さんは、コンポストは、食やモノの循環をつなぐ道具にすぎない、今は、野菜だけでなく、文化財の畳を堆肥化して文明を循環させたりもしているとおっしゃっていました。今は死んだら骨を高温で焼いて骨壷に入れるが、それでは土に帰れない、将来的には骨も循環させるようになりそうというお話もされていました。

食べ物だけを考えても、会社の利益を上げる(自分の成果をつくる)ために大量につくり、売れ残ったら大量に捨てる、私たちは何をしたいのでしょうか。お客さんがものを買えない機会損失がないことと、会社の利益のどちらが大切なのでしょうか。会社の利益と地球環境の総和で評価することはできないのでしょうか。そもそも、大量につくることは、会社の長期的な利益のためにもよいのでしょうか。

様々なことが分業化して、目の前のIssueだけを解くことに注意を注ぎすぎて、時間や空間に関する全体感をもって見ることが難しくなっていることが、どこに向かっているか分からなくなっている1つの原因なのではと思いました。

100 / 4,600,000,000

世の中では、Generative AIや脱炭素やメタバース等に資本家が膨大な資金を投入し、「今までできなかったことができる」ようになっています。一方、それはあなたが本当にやりたいことですか?という問いが生まれると思います。
私たちはひとりは46億年の地球の歴史の中でほんの一瞬の100年という時間を生きるだけの生物であり、子孫を残し、他人にも少しだけ幸せを分けて死んでいく。マクロで見れば、ただそれだけです。

一方で、ミクロな視点で見ると、私たちは、日々、怒ったり、喜んだりしながら、多くの人は「限られた人生を愉しみたい」と思って生きています。さらに、一部の人は、少しだけ同じ時代に生きている、あるいは、先の時代に生きる他のヒトが愉しむことに貢献できればと願って行動をしています。

アリが一生懸命食べ物を巣に運んでいるのと、いろいろなヒトが一生懸命に何やらしているのと、あまり変わらないような気がしてきますが、地球で100年という一瞬の時を、たくさん動いて、愉しんで去っていきたいと思いました。