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イスラエルの親友家族


はじまりは2019年


2019年2月、私たち家族は、Nagomi Visitというプログラムを通じて知り合いました。Nagomi Visitは、海外からの旅行者を日本の家庭にご招待し、お話をしながらランチやディナーをゲストと一緒に食べるというプログラムです。
我が家には今まで5組の旅行者方々を招待しています。Yulia, Eli, Yuval, Danielは、私たちのはじめてのゲストでした。コロナ禍を経て2023年4月に再会し、さらに2023年10月7日のハマスの攻撃を経てまた再会しました。

言葉が通じなくても遊べる子どもたち

子どもたちは、年が近い(うちの子は9歳と11歳)こともあり、4人(特に女子3人)はとても仲良しです。全員、片言の英語しか話せないので、どのようにコミュニケーションをしているのかは謎ですが、前回会った時から、カードゲームで遊んだり、スマホで遊んだりしていました。

そして、今回はさらに、道具がなくても遊べるようになったようです。
ランチを食べた新宿高島屋の13Fのテラスを探検したり、LAVOTを抱っこしたり、新宿南口のペンギン広場で謎のバリア(胸の前で腕をバッテンにする)とタイム(胸の前で腕でTをつくる)を駆使したおにごっこをしていました。

ペンギン広場で鬼ごっこ


子ども席に残されていた努力の爪痕

想定以上に命の危険に晒されているイスラエルの一般市民

ランチを食べながら、大人たちは、仕事のこと、子どものこと、ハマスとイスラエルの戦いのこと等、いろいろな話をしました。

戦争について、EliとYuliaから多くのことを聞きました。ハマスがイスラエルに侵入した場所から1時間のところにEliのご両親の家があったこと、2020年以降イスラエルでは全てのアパートでのシェルター設置が義務付けられていること、攻撃以来ほぼ毎日シェルターに入ってること、ガザの人々がキブツのイスラエル人用の家を建てており図面を把握しているため、イスラエル人の家に侵入したとき十人を殺害するのが簡単だったこと、今まで近所に住んでいた人が被害を加えているケースもあること、そして、10月7日はDanielのお誕生日だったこと。

10月7日に多くのイスラエル人が殺害され、今も100以上が人質としてガザにいることはとても悲しいことである一方で、ネタニヤフ首相が報復攻撃を止めず、ガザの一般市民3万人以上を殺害しているのは、単なる国内政治のためだけなのではと思っていました。だから、米国で多様な視点を学んだ学生がイスラエル軍のガザへの攻撃に対する抗議活動をしていることに対して、学生の気持ちを理解できると思っていました。

しかし、毎日シェルターに入らなければならず、いつ、ガザやイランから飛んできた爆弾がアイアンドームの防御をすり抜けて自分のアパートに着弾するかわからないという状況を知らないで、遠く離れたところに住んでいる人がイスラエル軍に対する抗議をするのも違うような気がしてきました。

かと言って、この戦いでガザでもイスラエルでも多くの一般市民の命が失われるのは悲しすぎるのですが、私にできることは何もないと遠い目になりました。

Eliは何度も「サバイブしなければならない」と言っていました。まさにそのような状況なのだと思いました。

ぺんぎん広場で

新宿駅南口のペンギン広場で子どもたちが鬼ごっこをしているのを見て、Dean & Dealcaのカフェラテを飲みながら、Yulia、Eli、夫、私の大人4人でたくさんお話をしました。

飛行機が駅のすぐ上を低空飛行するのをYuliaが見て、「イスラエルではこれが日常だ」と言って悲しそうな顔をしました。

同じ地球なのに、日本では多くの人が美味しいものを食べて休日を楽しみ、一方、イスラエルではいまだに毎日爆弾が飛んできてシェルターに避難しなければならなりません。そして、彼らは数日後、平和な日本からまた戦争中のイスラエルに帰っていきます。

そして私はどうする?

地球上の70億人が平和に暮らすのは気が遠くなるほど難しく、私にできることはあまりに少ないです。でも、彼らのことをいつも思うこと、様々な国の人と「ひとりの人として」分かり合えるようになること、様々な情報を得て子どもたちに様々な視点を紹介することは、続けていきたいです。

また、自分がコントロールできないことは諦めて、自分がコントロールできることに集中するという意味では、私の今のビジョンである「意思をもって働く人を増やす、意志をもってお金を使う人を増やす」ために、日々、仕事をし、消費と投資をすることを淡々とやり続けることで、それが何かにつながるかもしれません。

YuliaからもらったRothchild Blvdの焼き物。Yuliaたちの思い出の場所。いつかここでお茶しようね。