ニトとエルバ
ニトとエルバを知っていますか? Juan Aurelio "Nito" Garcia と Elba Natalia Sottile はアルゼンチンタンゴダンスの伝説的ペアです。タンゲーロのためのタンゲーロ、タンゲーロの中のタンゲーロ、彼らにはいろいろな称号が捧げられていて、ひょっとしたら名前を聞いた時点ですでに床にひれ伏しちゃってる人もいるかも知れません。彼らについては The Argentine Tango Society がドキュメンタリーも作っているので、私がわざわざ書くこともないんですが、でも、やっぱりちょっとだけ……。
(タイトル写真 by Preillumination SeTh)
エルバのこと
ニトとエルバを初めて観たのは、もうずいぶん前のあるデモンストレーションでした。私はニトの華麗でかつ遊び心溢れるステップにくぎ付けになったのですが、一緒にいた友人は違いました。......ちょっと、見た? 見た、彼女? エレガント! アレどうやったのかしら? 私より少し年上で長くタンゴを踊っている友人は、エルバが立ってる時に添えた足のポジションはこう、ピボットに入る前にいれた小さいキックはこう、と、興奮気味に再現しながら話します。ああ、そうだ、そうすればただ立ってるだけでもきれいに見える。ああ、そうだ、そこには洒落たキックを入れる時間があった……。何気なくみえながら、エルバの動きは一つ一つが隅々まで磨き上げられていて、だからあんなにエレガントなのよ! という友人の解説に納得したものでした。
それからかなり後、ひょんなことからニトとエルバのプライベートレッスンを受ける機会が巡ってきました。緊張気味に訪ねたスタジオは、本当にここかしら、と思うような素っ気ない場所で、入口から彼らがはいってくるのを見てほっとしたのを覚えています。彼らから何を学んだのか(もっと学べたんじゃないか)というのは長くなるのでさておいて、最後にニトが言ったことだけ。......いいかい、ヒーロでもボレオでも、何回も何回も練習するんだよ。うまくできるようになってもずっと練習するんだよ。本当に何百回も練習してるんだ、うまく踊るコはね。そう言って彼が顎をしゃくった先には自然体で微笑んでいるエルバがいました。
レッスンのあと、サインしてください、とおずおず彼らの写真のプリントアウトを差し出すと、エルバは、画像にかからないように、と隅の余白に小さくサインをしてくれました。
当時、アルゼンチンタンゴもいいことばかりではない、といろいろなことに少し嫌気がさしていた私に、彼らの真摯さは刺さりました。あんなに偉いダンサーなのに尊大なところが微塵もなくてまっすぐで……と感動気味にレッスンを取り持ってくれた人に報告すると、彼は言いました。そりゃあね、人間性がもう段違いだからね。人の痛みがわかってる、本当のマエストロたちだからね。……知ってるかい、二人は出会う以前に、それぞれのパートナーを事故で亡くしてるんだよ……。ニトが妻と母を、そしてエルバが夫を亡くしたのは1970年の数か月違いの交通事故だったそうです。
悲劇を経て出会い、輝かしいキャリアを築き上げた二人。その中心にあるのはたゆまぬ努力とお互いへの尊敬。……ベタと言う人もいるかもしれないけど、やっぱり目前にすると奇跡ですよ、彼ら。ホント、こんな人たちとの出会いがあるから、タンゴはやめられないんですよね、Yさん!
©2024 Rico Unno
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