タンゴを踊る女たち
「言われちゃったよ~。タンゴを踊る女って『ほら、アタシを見て!』っていう感じ、自己顕示欲強~みたいな感じがするよね、って」
あちゃ~。で、なんて答えたんですか?
「……黙ってた」
あー、確かに。そこでムキになって反論しても「ほら、やっぱりね」ってなっちゃいますもんね……。
まあ、誰しも自分のことはよくわからないし、他人が自分のことをどう見てるのか、なんてことはさらにわからない。そこで、他人事として考えてみました――私の知っているタンゴを踊る女たちは自己顕示欲が強いのだろうか?
(タイトル写真 by Preillumination SeTh)
グラシエラのこと
グラシエラ・ゴンサレスはアルゼンチンタンゴのダンサーで、教師としてもその名が高い。伝説的ミロンゲーロ、プピ・カステロ(Pupi Castello)の弟子でダンスパートナーでもあったけれど、プピ以外のミロンゲーロたち、踊り方の標準化が進む前の、強い個性を持った踊り手たちとたくさん踊っていて、彼らのスタイルについてもいろいろ教えてくれる。例えばこんな具合だ。
「ぺピート(Pepito Avellaneda)は背が低くてお腹が出てて、でも女の人が大好きだったの。それも背が高くってグラマーな人が。だから、彼のアブラソはこんな感じで(とドアが開いたようなホールドをして見せて)彼が頭を傾けるとうまく彼女の胸にあたるように(笑)」
すました顔で踊っている写真でしか見たことのないマエストロに、そんな魂胆があったなんて! そんなアブラソがイマドキ許されるかというのは別問題として、そういう隠れた意図やら、彼の背が低くて太り気味の体型、それでいてかっこよく見せるにはどうしたらいいかなど、いろいろな要因が絡まりあってぺピートのスタイルができたのだ、ということがグラシエラの説明からよくわかる。
グラシエラにとって、ぺピートのスタイルは、プピのスタイルともテテ(Teté)のスタイルとも違う。だから、彼女にとって「ミロンゲーロスタイル」という十把一絡げの踊り方は存在しない。グラシエラはその個々のミロンゲーロのスタイルを覚えているだけでなく、再現することもできる。...…ほら、私の胸に手を当ててみて。わかるかしら? 彼女の胸の奥の方から表のリズムとは違う小刻みな振動が伝わってくる。ああ、これがテテが使っていたリズムなんだ。感動のあまり、すごい、ありがとう! としか言えない私に向かって、グラシエラは、ね、おもしろいでしょ?と言うように大きな目きらめかせてウィンクした。
長いキャリアの中で、グラシエラは幾度となく皆の視線を集めて踊ったことだろう。多分それはそれなりにいい思い出なんだろうけれど、彼女が今もタンゴを踊って教えている理由はそれだけじゃないような気がする。彼女はミロンガで出会った様々な個性を愛していて、それを皆に伝えたいと思っている。もっと言うと、個性なくして何をか言わんや、って考えている……そんなふうに私には思える。だから彼女が「顕示」しているのは、今も昔も様々な個性を生み出し、愛し、育ててきたタンゴのコミュニティ、なのかな。
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