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アルゼンチンタンゴと移民

アルゼンチンタンゴは移民があちこちから持ち込んだ音楽とダンスが融合してブエノスアイレスのボカ地区で誕生した、という説明は観光ガイドなどにも載っていますよね。でも、実際の事情はもう少し複雑なようで……。(タイトル写真 in Wikipedia

 まず始めにですが、今回の話はアフリカ芸術と文化の研究者、ロバート・トンプソン氏(Robert Farris Thompson)の話を聞いて、へえぇ、と思ったことに基づいています。氏の研究はいろいろな形で出版されているので私の頼りない理解じゃちょっと……と言う場合は直接彼の著作をあたって下さい😅。また彼のスミソニアンセンターでの講演もこのリンクから見ることができます。少し音質が悪いですが、アルゼンチンタンゴダンサーのファクンド・ポサダス氏の実演つきなので、ご興味の向きはどうぞ。

移民はどこから来たのか?

 アルゼンチンは移民が建てた国なので、タンゴの発展に移民がかかわったのは疑いないところですが、その移民がどこから来たのか、どのようなイメージをお持ちですか? 私が持っていたイメージは、タイトル写真のような、不況の続くヨーロッパからより良い生活を求めてやってきた人たち、でした。確かに十九世紀末から二十世紀初頭の大移民時代には六百万人以上の移民がヨーロッパからやってきたといいますし、バンドネオンをはじめとする楽器、メロディーの調性などはヨーロッパからものなので、タンゴ歴史を考える上でヨーロッパ系移民の影響は外せません。が、しかし、話はそれだけではないよ、と言うのがトンプソン氏の論点です。

 タイトル写真をもう一度見てください。桟橋に立っている人たちの中に、アフリカ系と思しき人がいますよね。それも割合たくさん。それもそのはず、大移民時代にはすでにアルゼンチンや隣国ウルグアイにはたくさんのアフリカ系住民がいたのです。この人たちはスペイン植民地時代以降数世代にわたって奴隷として連れてこられた人たちや、カリブ海地域などからさらに移住してきたアフリカ系の人たちで、あらゆる仕事を通じてアルゼンチンの急速な経済発展に大きく貢献し、またタンゴを含め新興アルゼンチン文化にも大きく影響したのでした。

 トンプソン氏によると、アフリカ系の移民たちがやってきたルートにはいくつかあって、タンゴへの影響ということから考えると、特にコンゴから直接連れてこられた人たちの影響が大きいのだそうです。彼らが持ち込んだ、ドラムの「タックいーち とカッコンに  」というシンコペーション付き2ビートのリズム、腰を落とし足の交差を入れながら踊るスタイルなどが、まずウルグアイでカンドンベというダンスになりました。十九世紀後半、ウルグアイの首都モンテヴィデオは一時人口の三十パーセント近くがアフリカ系で、街にあふれるアフリカン・ビートとカンドンベは、訪れたポルーテーニョブエノスアイレスっ子の目にとてもかっこよく映ったらしく、隣国アルゼンチンでもすぐ踊られるようになります。やがてアルゼンチンではペアダンス化して、ボンボドラムがはずれてリズムがマイルドになり、現在タンゴミロンガと呼ばれているアルゼンチンタンゴのサブジャンルへと変化していきました。現在タンゴカンドンベと呼ばれているのは、この過程でできたもので、カンドンベの要素を色濃く残したタンゴの踊り方のことです。(タンゴミロンガでも使われるトラスピエとかボラチョとか、いわれてみると確かにアフリカンですね~)

 また、もっと間接的なクレオール欧阿混交文化の影響もあって、例えば、タンゴの成立に大きくかかわったハバネラになどは、スペインのカタロニア地方のダンスが、ムーア人文化の残るカディスの船乗りによってカナリア諸島、キューバと伝わってアフリカ系や他のヨーロッパ系ダンスと混交してハバネラになり、さらにブラジルのバイア地方、リオデジャネイロと南下し、モンテヴィデオとブエノスアイレスのあるラ・プラタ川河口部に到達したのだそうです。この複雑な伝わり方から当時はリズムだけでも10種類近くのバリエーションがあったそうですが、基本のハバネラのリズムはシンコペーション付き4分の4拍子で、これを早くして4分の2拍子にし、ボンボドラムで打てばカンドンベの「タック、カッコン」です。このような類似はハバネラとカンドンベがどちらもアフリカ起源のリズムを持つためなのだそうです。

 ハバネラ、カンドンベなど複数のダンスの影響を受けながら、タンゴはブエノスアイレスやモンテヴィデオのあるラ・プラタ川河口部で急速に形成されていきます。その結果、タンゴは4分の4拍子でポリリズムとなりました。ポリリズムは一曲中に複数のリズムがあることで、アフリカ系音楽に広く見られます。ポリリズムのおかげで私たちは今日、トップビートをとったり、シンコペーションにいったり、倍速にしたり、自由にリズム間をシフトしながら踊ることができます。そしてタンゴと4分の2拍子のタンゴミロンガに少し遅れてに加わったのが、タンゴワルツで、これはヨーロッパのワルツ由来の4分の3拍子のタンゴです。
 
 その後も作曲、演奏、ダンスすべての面においてアフリカ系アーティストはアルゼンチンタンゴに貢献し続けるのですが、その影響は国外では比較的知られないままでした。1990年代のタンゴのリバイバル時に輸出されたタンゴのイメージにも彼らの痕跡はありません。輸出されたタンゴのイメージに関してはまた別に書きたいと思いますが、最近はいろいろな歴史の見直しも進んできているようです。(例えばこちら)

移民の音楽

 移民の影響を重層的に受けて成立したアルゼンチンタンゴは、さらに人の流れに乗って今や世界中で踊られています。様々な文化の要素を含んでいることも多くの人に受け入れられやすい理由なのかもしれませんね。タンゴのリバイバルに一役買ったタンゴショー Forever Tango のスター、カルロス・ガビート(Carlos Eduardo Gavito)がこんなことを言ったそうですよ。

「アルゼンチン人でなければタンゴはできないと言う人たちは間違っていると思う。タンゴは移民の音楽だ...…だから国籍はない。タンゴの唯一のパスポートは感情なんだ」

 なるほどね~。国境を越える、越えない、一時的、恒久的といろいろな人の流れがありますが、本来の住居地を離れて移動する人は、みな移民と言えるのだそうです。...…という事は旅行中の私は移民? よし、今度旅先でミロンガに行ったら、古今の人の流れに思いを馳せながら踊ってみることにしましょう。
©2024 Rico Unno

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