これもタンゴあれもタンゴ 【音楽編】
アルゼンチンタンゴとわざわざ国名をつけて呼ばれる、という事はアルゼンチン以外のタンゴもある? ありますよね、それもかなりのバリエーションが。それらがアルゼンチンタンゴとどういう関係にあるのか、推測も含めつつ、筆にのおもむくままに書いてみようと思います。
(タイトル写真 from Wikipedia)
ヨーロッパ在住、アルゼンチンタンゴの「はとこ」たち
なぜいろいろなタンゴがあるのか? 理解のために、まずはさっくりアルゼンチンタンゴの歴史から。アルゼンチンタンゴはアルゼンチン、ウルグアイのラ・プラタ川沿岸を中心に十九世紀末から二十世紀初めにかけて発達しジャンルとして確立しました。この時期はアルゼンチンの国力の高まった時期で、移民をふくめアルゼンチンとヨーロッパの間には大きな人の流れがありました。その流れにのってタンゴはヨーロッパにも伝わり、「タンゴマニア」と呼ばれる大ブームを巻き起こします。
当然のことながらブーム触発されたヨーロッパのアーティストたちもタンゴを作曲、演奏し始めます。はじめのうちヨーロッパのタンゴはアルゼンチンタンゴと似ていたのですが、時間が経つにつれ独自色を強めていきます。これらヨーロッパ系タンゴは、日本で「コンチネンタルタンゴ」と総称されていますが、なぜこのように呼ばれるようにようになったのか、という事に関しては、noteにTango Grelio の米阪隆広さんの書かれた 素晴らしい記事がありますので、ぜひそちらをご参照ください。
さて、ここから本題です。では現在ヨーロッパのタンゴはどうなっているのか? 「コンチネンタルタンゴ」というと、ドイツのアルフレッド・ハウゼ楽団などの名前が浮かびます。しかしドイツでは、ヨーロッパ系タンゴは一時人気があったものの、独立したジャンルにはなりませんでした。今ドイツでタンゴ、と聞いたらピアソラやエレクトリック・タンゴなど、アルゼンチン発の音楽を思い浮かべる人の方が多いように思います。(例えば、Gotan project の "Tango Santa Maria" などは普通にクラブでかかっていますが、アルフレッド・ハウゼ楽団の碧空 "Blauer Himmel"とかはナイ、ですね……)
大方のヨーロッパの国では、タンゴブームはドイツのような経過をたどりました。例外と言えるのは、フィンランドで、地元タンゴの人気は衰えることなく、今では音楽、ダンスとも独自のジャンルとして根付いていて、大きなフェスティバルなども開催されているそうです。フィンランドのオリジナルタンゴがどんな感じかというと、調性は短調で、メランコリックな歌詞、単一リズムラインで、バンドネオンでなくアコーディオンが演奏に使われるそうです。(試聴リンクはこちら)
国に限定されない例としては、イーディッシュ・タンゴという東欧系ユダヤ人の発達させたジャンルがあります。歌詞は彼らの使っていたイーディッシュ語で、第二次世界大戦前はポーランドなど東・中央ヨーロッパで盛んに作曲・演奏されていたのですが、ホロコーストのせいでアーティストが殺され、音楽も廃れてしまいました。最近再発見というか、人気が盛りかえしてきていて、タンゴ楽団だけでなく、ジャズやクレッツマーを演奏するバンドなども録音しています。(試聴リンクはこちら)
これらヨーロッパ系タンゴは、それぞれの文化的背景を織り込みながら発展したので、お互いにあまり似ていません。また、現在のアルゼンチンタンゴともかなり違っていて、いうなれば「はとこ」くらいの間柄、となるでしょうか。
スペインの「タンゴ」とアルベニス
すこし複雑なのがスペインの事情です。スペインでも他のヨーロッパの国々のようにタンゴマニアの時期、地元タンゴの時期はあったものの、以後人気は廃れ、現在マドリッドなどで楽しまれているタンゴといえば、1980年代以降再輸入されたアルゼンチンの音楽とダンスです。
ただ、歴史的に見てスペインの音楽とダンスはヨーロッパ、そして彼らが植民地としたラテンアメリカ諸国に大きな影響を与えているので、アルゼンチンタンゴもスペインにルーツがあるのかも、というのは至極まっとうな仮説です。しかしこれを証明するのは簡単でありません。なぜなら、後述するように、アルゼンチンタンゴが大きな影響を受けたダンスや音楽は、それ自体がすでにアフリカやヨーロッパの地域文化の混交であったため、どの国の文化がアルゼンチンタンゴに影響を与えたと単純に言えないからです。
それでも、スペインがタンゴのルーツである、といった説明を時々目にするのは、いくつかの誤解しやすい事情があるからのように思います。例えば、スペインが誇るフラメンコには、セビリャーナスやソレアレスほどメジャーではないですが タンゴス(tangos) という名前のサブジャンルがあります。すわ、これがアルゼンチンタンゴのルーツか、と思いたくなりますが、これはアンダルシアで十九世紀に発達したいくつかの舞踏音楽の総称で、アルゼンチンタンゴと直接の関係はないと考えられているそうです。(試聴リンクはこちら)
別の例では、クラッシックの ”Tango in D major”。この曲はイサーク・アルベニス(Isaac Albéniz)の組曲『エスパーニャ』の中の人気曲で、クラッシックの枠を超えて演奏されています。アルベニスはスペイン音楽の研究者としても有名だったので、私などは、スペインの伝統音楽に基づいた曲なんだろう、と勝手に思っていました。しかし改めて聞いてみると、この曲はフラメンコの tangos とはあきらかに違います。ゆったりしたシンコペーションのリズムは、むしろハバネラっぽいと思いませんか? なのに、なぜアルベニスはこの曲を Habanera in D major としなかったんでしょうね? 念のため、イベリア半島の伝統音楽の中にフラメンコ以外で ”tango” と呼ばれるものがないか、データベースで十三世紀以降の楽譜をあたってみましたが、それらしいものはヒットしませんでした。
なので以上まとめると、スペイン文化がアルゼンチンタンゴへ与えた影響は間接的なものにとどまる、ということになるでしょうか。
キューバのハバネラとコンゴ・タンゴ
さて、アルベニスのところで触れたハバネラですが、実はアルゼンチンタンゴと深い関係があります。ハバネラはキューバのハバナで踊られていたダンスで、ヨーロッパ系のダンスをアフリカ起源のリズムにのせて踊ったものでした。これがラテンアメリカのみならずヨーロッパにも伝わり、特にスペインやフランスで十九世紀末に大流行しました。この大流行の後ヨーロッパでは、ハバネラはスペインのダンス、というイメージが出来上がります。(余談ですが、ビゼー作曲のオペラ『カルメン』の中でセビリアのジプシー女カルメンが歌う『恋は野の鳥』がハバネラ、というごった煮さもこの辺の事情から)
ヨーロッパ起源のダンスとアフリカ起源のリズムのフュージョンといい、ヨーロッパでの大流行といい、ハバネラはアルゼンチンタンゴとその後のラテンアメリカ発のダンスの先駆と言えます。それだけでなく、ハバネラはウルグアイのカンドンベなどと混じりあい、アルゼンチンタンゴの基本形を作ったとも考えられています。
タンゴのリズムの発展ついてのある記事によりますと、アルゼンチンタンゴが形成されつつあった十九世紀末、アルゼンチンでは、ハバネラのリズムを、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちを通して伝えられたリズムということで「コンゴ」もしくは「コンゴ・タンゴ」と呼んでいたそうです。ただ、その後もアルゼンチンタンゴの変化は続き、その過程でハバネラのリズムは複数あるリズムの一つとしてタンゴに内包され目立たなくなります。
妄想ですが……
ハバネラのリズムが創成期のアルゼンチンタンゴの主要リズムの一つだった、という事を知って、私は思わず想像してしまいました。……同じような時期、ピアニストとしても有名だったアルベニスは南米にも演奏旅行に来ているので、ハバネラのリズムがコンゴ・タンゴとしてアルゼンチンで親しまれていることを知っていたのかも。「スペイン」組曲の一曲が「ハバネラ」になるミスマッチを避けて、よりスペインっぽく聞こえるように "Tango in D major" と名付けたのかも...…。うーん、妄想は膨らむばかりです。
このあたりよくご存じの方はぜひご教示ください。あ、それと、ここで書いたことは、あくまで私の理解に基づいて、でありますので、間違っていたらごめんなさい……。
なんだか長くなってしまいました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。ダンスのことも書きたかったのですが、これは機会をあらためて。
©2024 Rico Unno