私が「招待状」と呼んだもの。

製造業に就いていた時のこと。私の相棒は油圧プレス機。そのプレス機の影から、他のラインの社員の方が、姿を現す時の第一声は決まっています。

「私たち、明日パンクするんだけど、こっちは、どう?」

訳すと、「私たち、明日とんでもない受注が入って窮地に追い込まれるんだけど、明日こっちのラインの受注はどんな感じ?」

さらに訳すと
→余裕を作り出して、私たちのラインの生産に参加しませんか?
→余裕を作り出せなくても、時間外に手伝いに来ませんか?

となります。


私は、そんなことがしたくて、他のラインに進出する機会を得るための行動をおこし、手伝いに行くと同時に出来ることを増やし、それなりに大変な思いをして手に入れた状況でした。


仕事が終わり、みんなが帰っていく際で、次の仕事をしに他のラインに向かっていく私の様は、周りの目には気の毒に写っているようでしたが、それは私のやりたいことだったので、本当に嬉しいことだったのです。


なので、そんな応援要請を、私は「招待状」と呼んでいました。


1日に2人前、3人前の仕事がある日々。
そこに行って、協力に励む理由がありました。


出来ることや役に立つことを増やしてもらった。

いろんな時に、見方になってもらえて心強かった。

落ち込んだ気分を、何度も吹き飛ばしてもらった。

派遣社員という立場で、削減にいたる仕事量が少ない時も、「仕事がない」と困ることがないぐらいに、私の作業領域を広げてくれた。


そして何より、駆けつけると、いつも喜んでくれた。


実際は、助けに行くことで、自分が助けてもらっていたのです。「協力を得る」という人助けに救われることで、わかったことです。



そんな日常の中での「やりとり」も紹介しています。↓

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