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焦らない、焦らない

こんにちわ。夏の日差しが暑いと言うよりは痛いと感じるricoです。日焼け対策をしてもやっぱり焼けてしまうのは自分のケアが適当だからですかね。


社会人リハビリを始めて3週間。とにかく自分に言い聞かせる。焦らない、焦らない。せっかちと言うか結論を早く出したがる性格なので、とにかく今は焦らない焦らない。ゆっくり進めばOKと思うようにしている。


筋トレも少しずつ良い方向に向かっているのはわかるし引き締まってきたのもわかる。減量目的ではないから体重ではないと頭ではわかっている。でも全く減らないことに内心焦ってもいる。


おかしい、夏までに5キロくらいは落ちる予定だったのに。本気でうんともすんとも言わないじゃないか。間違ったトレーニングをしてる?食事制限がおかしい?


一気に落とすつもりはないし、筋肉は増やしたい。食事も気を付けているしPFCバランスも摂取カロリーも問題ない。それなのになぜ落ちないのか?本当に不思議で仕方ない。でもそういう体なのだから仕方ないと思う。何か腹立つけど。


世代的にホルモンバランスの都合もあるし、代謝が落ちているとかもあるのだろう。それを改善するために筋トレを始めたのだし、健康になればよしとは思いつつ。それでもやはり体重をずっとキープしているのは解せない。


ただ、筋トレをしているから「最低限キープはできている」だけなのかもしれない。何もしていなかったら本当に「空気もカロリーあんねん」となるくらいの勢いで太りそうだ。


周りの同世代を見ると、健康や美意識の有無というのが本当によくわかる。ある意味40代と言うのは境界線なのかもしれない。


30代のうちは何だかんだ言ってもまだ若いし、減量もさほど困ることはなかった。肌の治安も良かったし大きく体のラインが崩れることもなかった。


ところが40代に突入した途端に体重が増え、ラインは崩れ、肌の治安は悪化。戻らないどころか何をしても悪化していくのだからストレスも溜まる。メンタルへの影響も大きい。


男性ならお腹周りが大きく育ち、女性は2周りくらい大きく成長する人が多い。その中でも上半身から顔につくタイプ、お腹周り、お尻から太もも、下半身全部、全身くまなく、色んな太りかたがある。


そして甘いもので出来あがった脂肪なのか、ラーメンなどの炭水化物で出来あがったものなのか。何となく違いがわかるようになってきた。


自分自身は、実は体重だけで見ればさほど太っているわけではない。標準体重から変化はないので「減量」が必要なわけではない。だから体重が減りにくいと言うのもあるかもしれない。


ただ、「自分のベスト体重」があとマイナス5キロの認識なのでそこまで落としたいだけだ。そのあたりが1番フットワーク軽く動けるので、そこを目指したい。そう思っていた。


半年かけてジワジワ体脂肪率を落とし、筋肉量を増やしたことで「疲れやすさ」と言うのは全く別次元の話になった。疲れないことはないけれど、去年までのそれとは雲泥の差だ。


ならばいいじゃないかと思うけれど、そこはやはり女心。ちょっとくらい減ってもいいじゃんとずっと思い続けている。頑固な我が体重、飼い主にそこまで似なくても良いような気もする。



そして仕事。まぁ…正直若干の居心地の悪さはある。私は引き継ぎ要因で雇用してもらっているので、当然そこには「辞める人」が存在するわけだ。どうしても若干の風当たりの強さは感じる。


そしてどうやら私の枠には数人の応募があったそうだ。何人も会社見学に来ていたそうで、そのたびに上司は席を外してなんちゃら~みたいなのを聞かされた。正直どうでもいい。


ただそういう話にトゲが付いていると言えば良いのかな。何か私が悪者みたいに感じてしまう。ただ単にリミットゆえの交代なので誰が悪いとかではないと思うのだけど。何となく「お前さえ居なければ」みたいに感じてしまう。


まぁそうは言ってもリミットなので、私が居なくても別の誰かが確実に来るだけの話なのだけど。そこらへんはもちろん我慢と言うか「まぁ憎いわなぁ」くらいのニュアンスで捉えている。



鬱のときも感じたが、私はどうにも「早く結果を出さなければ」と自分で自分を追い詰める傾向が強い。そして「なるべく短期間で」「一発で」と考えてしまうようだ。


それは恐らく幼少期からの「できて当たり前」という文化のせいだろう。何をやらせても器用なものでわりとすぐにこなせてしまう故に「当たり前」になってしまっていたから。


できないのも私だし、苦手なこともあるのに。きっとそういう刷り込みが「できなければ愛されない」とか「できないと思われたら縁を切られる」みたいな強迫観念めいたものになっているのだろう。


そうじゃないよと自分に言い聞かせる。焦っても仕方ないからマイペースにいこう。できなくてもそれはそれ。自分の思うように、自分で自分を褒めてあげよう。


鬱のときに深く心に刺さった。


一生付き合うのは自分自身なのだから、自分で自分を認めてあげなければ苦しいだけ。


そこから焦らずにと自分に言い聞かせ、自分を許し、やりたいと思うことを許可し、少しずつ自分自信を愛せるようにと行動している。


まだまだ難しいけれど、それでも以前よりはずっと自分を認めて愛せているのだろうと思う。


ただ、私はどうやらそのときに「結局頼りになるのは自分しか居ない」とも学んでしまったらしい。その話しは、またいずれ気持ちが落ち着いたときに書こうと思う。

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