【大好きな父③】父の精一杯の親孝行
抗がん剤治療をはじめて約1年が経過した。
短期間の入退院を、繰り返しながら、前向きに闘病していた。
自営していたスナックは経営不振もあり、癌を発症する直前に閉店していた。
闘病中、何もすることがないと気が滅入るだろうと、親戚の会社で雇ってもらえることになった。
「短時間、調子がいい時だけでもいい。」と言う有難いご配慮だった。
「部長」という肩書きまでいただき、役割ができた父は、毎日「仕事に行って来る」と明るく出かけたものだ。
美味しいものを食べるのが好きだった父は、お気に入りのお店を、その日の気分で選び、「(今日が)最後かもしれないからな!ニヤ」と言っては、よく外食していた。
(毎回「これが最後だろう」と言いつつ、お気に入りのお店を3巡はしたと思う笑)
ある時、全身に転移していた癌が消えていた。
「奇跡が起きたぞ!痛みも全くない!」と喜ぶ父。
私も、「父の病気が治りますように。治らなくても、せめて痛み苦しむ時間が少しでも短くなりますように。悔いなく、一日でも長く穏やかに生きられますように。」と心から願い、日々祈っていた。
その祈りが通じた!!と嬉しかった。
後で知った話だが、癌が一時的に消失することがあるらしい。亡くなる前に起きる現象だとか。。
ちょうど5月の母の日。
体調も気分も良い父は、「最後の親孝行だ」、祖母を「旅行に連れて行くぞ!」と言い出した。
その頃よくCMで流れていた、長崎県の「雲仙みかどホテル」に行ってみたかったらしい。
バイキングの種類が豊富で、セルフの生ビールサーバーもあった。あと温泉も。
早速祖母に声をかけて、私と父と祖母とオバ(父の妹)の4人でフェリーに乗って旅行した。
驚くほどの量のバイキングを食べ、特別にビールを1杯だけ許可した。笑
父はニコニコ嬉しそうで、家族みんなで「癌患者とは思えない」「誰よりも食べている」と笑顔になった。
父は子どもの頃からやんちゃで、上級生と果敢に喧嘩をしてくるような子どもだった。悪さばかりして、祖母は尻拭いに追われていたようだ。
勉強はしないが、要領が良く、成績はそこそこ優秀で、運動能力はピカイチ。日本体育大学に進学し、体育の教員免許を取得。
しかし教員にはならずに、さまざまな仕事を経て、地元の熊本で麻雀喫茶を開き、その後スナックを法人化した。
一時期は2店舗経営していたが、不景気の煽りで最後は1店舗に縮小するも、厳しい経営状況は続いていた。
60歳で店を閉めるまで、祖母には散々お世話になったらしい。
そんな祖母への最後の親孝行。
実現できたことが、最高に嬉しかった。
さすがに疲れたのか、帰路はぐったりしていた。そしてその日の夜から様子がおかしくなったのだ。
いよいよ、最後の戦いがはじまる。
続く💙
RICO
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