Noteを継続することの難しさ  初投稿から5週間余りを振り返ってみた

レビュー

Noteを始めて、できる限り継続していこうと思っていた。
自分なりの目標も持っていたのだが、投稿24日目にして連続投稿が途切れてしまった。
そして、ずるずると不投稿の日々が続き、辛うじて週1投稿で繋ぎ止めているという体たらくな状況である。

3月21日に初投稿して以来、全体ビューもスキも順調に右肩上がり
投稿し続けている限り、うまく行くんですね。

4月7日の週から投稿の内容も一部省エネモードになってしまい、全体ビューもスキも停滞してしまった。

4月13日にあえなく連続投稿が途切れ、翌週からは週一投稿に陥って、無残な数字となっている。

画像1

途切れたわけ

途切れたのには当然理由がある。
自分に対して言い訳をつくり、それを自分で良しと認めてしまっただけのことである。
つまり、やり抜く覚悟ができてなかったのである。

実は4月14日は泊りがけの仕事があって、しかも同行者とずっと一緒で執筆するのが難しい状況であった。それを理由に まあいいや と自分に納得させてしまったのだ。
そんな状況は事前に想像がついており、書きだめしておくなり、画像やつぶやきなどで言葉は悪いがお茶を濁す=急場をしのぐこともできたわけである。
しかし、敢えてそれはやらなかった。

直前の1週間であっぷあっぷしながら追い詰められた感が日増しに強くなり、一度立ち止まりたくなっていた。
そして、継続の意味をもう一度考えてみたかったということだったと思う。

一旦継続がストップしてしまうとまた立ち直るにはこれまで以上の力が必要だ。

題材不足

書けなくなってきた最大の理由は、題材の不足かなと思う。
たぶん読者の皆さんは、書くことなんて山ほどある、何を言っているのだと思われる方がほとんどであろう。
私もそう思う。

そう思うのだが、自分でいろいろとテーマに制約をつけてしまって書けなくなってしまうのだ。
Noteは言うまでもなく不特定多数の人に自分の書いたものを読んでもらうものだ。
自分だけの日記とは違う。
note に限らずSNSの特徴として、自分の日常をさらけ出すことになる。
プライバシーを露出するということになる。

私が書いている「エージシュートへの道」にしても実話ではあるが極力実名はだしていない。
だが、わかる人が見れば大体これはどこのインドアスクールでTカントリークラブは、たぶんあそこだなとわかってしまうだろう。
もちろん、知り合いやゴルフ仲間が読めば、あのRickynさんかとなる。

コロナ禍において、こいつ呑気に外出しているんだと記事を読んで苦々しく思っている人もいるかもしれない。
だから、ある一線を仕切り、それ以上のことは書くことができない。
子供じゃないんだから、そんなの当然でしょ。
そうですね、となるんですが...。

日常の生活だけじゃなくて、自分の意見や考えを皆にさらけ出すことにもなる。
断っておくが、私は特別変わった考えを持った人間じゃない。
今まさにこの一文を書くにあたって、犯罪的な宗教団体や反社の名前やらを例示しようかと一瞬頭をよぎったが、一瞬にして一蹴してしまった自分がいる。

アラカンの私としては、人様に後ろ指をさされるのは嫌だとは思うが、特段他人からどう思われようが、気にするほどデリカシーにできていない。

投稿文の中の登場人物が私が書いたのを読んで、お前そんなことを考えていたのか、だったら言ってくれたらよかったのにとかとなるのは、ちょっと気まずいかも程度ではある。

とは言え、自分の意見や考えをオープンにするのは、やはりリスクがあり、どこかに危険がはらんでいると思うのは私だけであろうか。

noteを続けてどうなる?

題材不足以外にも筆が進まない理由をあげるとすれば、目的がスーパークリアになっていなかったことがあげられる。

実は、サーバーを契約して、WordPressを独学で立上げ、人生初のブログを始めたのがnote初投稿の2か月ほど前だった。

ベトナム関係の人材ビジネスやECを立ち上げる計画があり、ブログで人材ビジネスの集客や情報収集、ECの誘客、さらにはアフィリエイトなど将来的に実務に結び付いてくれればいいなとの想いで始めたものだった。

ところが、ブログを立ち上げたはいいが誰も見てくれない、気づいてくれない。ベーシックレベルだがSEO対策もやってみたのだが閑古鳥が鳴く状態。

妻の勧めもありWordPressはとりあえず放っておきnoteに鞍替えをしたのだ。

以前と比べ、noteは誰かが読んでくれている、書いただけの反応が来るという実感があり、当初は嬉しくもあり、気持ちよくもあった。

だが少しづつだが、書くのが辛くなっていった。書かなければという義務感みたいなものと、初めからうまくいくはずがないことはわかっていても読者の反応が自分の期待ほどついてこない、一種の焦りのようなものをじわじわと迫ってきた。

これは自分だけでなく普通の人が誰でも感じる倦怠感のようなものだろう。
反応があれば、それなりに嬉しい。だからと言って、それが何になるんだ。俺は何をやっているんだ。目的は定めたはずだが、どのレベルまで行けばいいのだろうか。不透明なよどんだ空気が自分に押し寄せてくる。今すぐnoteで稼げるわけでもなく、集客誘客もできない。
趣味として週1とかで続けていくという方法もあるが、今は少し中途半端な気がする。
ちょうどゴールデンウィークでじっくり考える時間がある。焦らず、GW後にどうするかを考えてみよう。

ここまでnoteを継続することの難しさを書いてきた。
もちろん時間もそれなりに費やすし、話材は際限なくあるにしても取捨選択してストーリーを練ったりしなくてはならない。

続けるべきか? 続けるためには?

上述した自分の中にあるわだかまりを解決して、今後どうしたらいいのか決めていこう。

続けるためにどうしたらいいのか。
自分としての答えを持っている。

一日も休まず、毎日書けばいいのである。毎日がきつかったら1日おき、一週間おきでもいい、自分でルールを決めて、決めたとおりに実行すればいい。それが一番簡単で確実な方法だと思う。

なんだか、一休さんの問答のようだが、私は別のことでそれを実践している。それは、早朝ジョギングである。

有言実行

これについては、長くなったので別の投稿でお話したい。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

ご意見やアドバイスを頂ければ幸いです。

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Rickyn
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