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【ドラマ】『僕のいた時間』を観て共感しすぎて泣いた話(後編)

Rickyです。

ドラマ『僕のいた時間』を観て共感しすぎて泣いた話の後編です。
前編はこちら

前編では、拓人が3年後の自分に向けて書いた手紙について書きましたが、もうひとつ、唐突に涙が込み上げたシーンがあります。

物語後半、婚約者と上手くいっていない娘を心配して、メグの母親が拓人を尋ねるシーン。
拓人は車椅子生活ながら、わりと日常をエンジョイしている時期です。
娘が、昔の彼氏と元サヤに戻ってるのではないかと心配して尋ねてみたら、元カレは車椅子生活で、様子が一変しており、ショックを受けているのが傍目にもわかります。
そこで拓人が言うんですね。
 
「僕、元気なんで」(だから特にメグさんと会う理由もないし、ひとりで大丈夫です)

と。
これ、言うよねー。言う言う。
元気じゃなくても、言うよね。
いや、むしろ、元気じゃないと思ってるから言うのかも。

本当はめっちゃメグのそばにいたい。
でも、メグには別の婚約者がいて、その人との結婚を望んでいる母親が目の前にいて、しかもこの状況を招いたのは、他でもない、自分がメグに心を閉ざしているからなのであって。。

そして、心を閉じざるを得なかったのは、病気になったから。
病気で迷惑かけたくなかったから。。。

でも、それ、たぶん、本質的な理由じゃないよね。
1番根底にあるのは、病気を理由に去られるのが怖かったんだと思うのです。
病気を理由に信頼関係が崩れるのが怖いんです。1番信頼してる人との関係が崩れたら。。。病気の進行より怖いと思う。

実際、拓人は、後日、メグから「どうして別れた時、病気の事、言ってくれなかったの?」と聞かれて、「言ったってなにも変わらない。どうせ別れていた」とブチ切れる。

メグから去られる事が、今も昔も、なによりも耐えがたいから、その事を想像しただけで、感情が抑えられなくなるのです。
だから、目の前にメグがいて、楽しければ楽しいほど、「その時」の事を考えて、心が沈んでしまう。それでもなんとか生きていくために、心を閉ざしているわけで。

心を閉ざしている人は、元気なんですよ。
自分の心の中はぐちゃぐちゃドロドロでも。
そういうの表に出せないから、「元気」の鎧を着てる。
そうしてないと、立って(いや拓人は座ってたけど)いられないのです。

その拓人に、「元気なんで」と言わせちゃったメグの母は、隠れた鬼キャラだし、書いた脚本家さんがすごい。

ここは、元気なそぶりを見せる、それを受けて、メグ母は、もやっとしながらも、引き下がる、という芝居でやれたシーンだと思うんです。
春馬君と浅田美代子さんなら、それもできたと思うし。
でもあえてこのパワーワードを言わせて、拓人は、実は全然元気じゃなかった!と見てる人に伝える高等テクなんですね。

で、この難しい一言を春馬君がどう演じているかというと、どう表現するか、すごく迷ったと思うのです。だって正解なんかないもの。

で、OKテイクはというと、から元気で変に力強い「僕、元気なんで」になってるんだけど、これ拓人の、

我ながら嘘くさっ!と思いつつ、でもそう言いたい、思いたい、っていうか、そう言うしかないじゃないかこの状況!あーでも、何やってんだ!オレ!

という複雑な心情と見事にマッチしていて、迷いながら演じたのなかもだけど、丁寧に演じている春馬君に涙でした。この一言はほんっとに難しいと思う。
春馬君、すごいよ、すごい。

春馬君が放ったたった一言のセリフで泣かされたし、こんだけの長文書けるんだもの(文が長いのは元々ですが😅)

『僕のいた時間』、春馬君の演技もですが、脚本を書かれた橋部敦子さん、ほんとに筆力のある方だなぁと思います。
役者さんの創造力を引き出す脚本とでも言うのか、コミカルなシーンも含め、他にも名言続出の『僕いた』。よくある「難病もの」のプロットでありながら、それだけで終わらせないのは、脚本家さんの力なのでしょう。

作中の名言とりあげたら、あと20個くらいは、記事が書けそうです。
書く事に困ったら、また書くか(笑

日本のドラマに疎いので、他の作品は観たことがないのですが、きっと名作と言われる作品が他にもあるのではないでしょうか。

春馬君のおかげで、今まで知らなかった素晴らしい脚本家さんと出会えました。
ありがとう、感謝をこめて。



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