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何も考えない時間。
スマートフォン、
ネットショッピング、
空気抵抗を少なくした最新モデルの車、
耐震設計の電波塔、
世の中は無駄を削ぎ落とした形を美とする傾向にある。
果たしてそうなのか、
無くては駄目なものは無駄では無い。
有用だ。
用が有る。有用。
無くちゃ駄目。無駄。
矛盾を感じるのは僕だけであろうか。
無駄を削ぎ落としたものがカッコいいっていうのは事実かもしれないが、そこには泥臭さが無い。smartだがdustyでは無いのだ。
ヴィンテージのデザインが高値で取引されたり、
汗臭いスポ根漫画が人気だったり、
古いと言う価値観には価値がある。
泥臭いことが悪いと微塵も思わないが、
もしかしたら世の中がそうで
自分の世界ではそうじゃないのかもしれない。
ただ天邪鬼なだけかもしれないが、
僕は泥臭く生きたいと思う。
Dusty Life
泥臭く生きていく。
無駄を愛す。
無駄が無駄で無くなったとき、
価値が生まれる。
泥臭さが世間の評価によって浄化されたとき、
力を持つ。
世界は無駄って価値観を意識的に削ぎ落としてそれを美としているが、間違ってる。
無駄は悪いことではない。
無駄こそ物の本質だ。
無駄と思うことにこそ、何がヒントが隠されていることが過去を見ても多い。
無駄の美しさ。
泥臭さの素晴らしさ。
それでこそ知る有用のありがたみ。
多くのことが制限されている現状に
時間がある最近に
無駄だと思うことをあえてやってみたいと思う。
そこになにか一筋の光が差すかもしれないから。