画には描けない面白さ~宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』書評~
宮澤伊織が2019年以来書き継いできた『ときときチャンネル』シリーズの短編6作が単行本化された。
十時さくらは社会人としての勤めの傍ら、動画サイトに配信チャンネル《ときときチャンネル》を開設し、生活費の足しにしようと目論んでいる。目標は登録者数1000人、ネタは同居しているマッドサイエンティスト・多田羅未貴の怪しい発明。地の文はさくらが生配信しているという体で、さくらと未貴のボケツッコミが全編実況口調で語られる。
さて、ユーモア溢れる女性マッドサイエンティストものの鼻祖といえば火浦功『みのりちゃん』シリーズが挙げられるが、『ハヤカワ文庫JA総解説1500』で同シリーズの解説を担当したのが他ならぬ宮澤であり、本書がそのオマージュであることは間違いない。
さらに未貴が発明のネタ元としているのが《インターネット3》なる存在(彼女いわく「超越的な知性が通信手段として使ってる超高次元の粒子間ネットワーク」)で、「謎の情報流に接触したので勝手に解読したらヘンなものできました」というあたりはヴァーリイ『八世界』シリーズや、レム『天の声』を連想させる。
さて、本書を一読して私が思ったのは、これは映像化できないかということだった。いまは個人でもアニメは作れるし(仮の話なので著作権的なことは度外視するとして)誰かがファン創作的に配信動画としてアップしてもおかしくないのでは……と。
しかしちょっと考えて思い直した。これは無理だな。
技術的な問題ではない。仮にプロが手がけたとしても、よほど工夫をしないかぎり映像作品として成立させるのは難しいだろう。
というのも、本書でもっとも面白いのは、未貴の発明にまつわる架空の科学的ロジック、つまり映像にはならない箇所だからだ。たとえば第1話では未貴が超弦ポイで宇宙の一部を掬って宇宙の非局所性へと至るわけだが、画的にはさくらが黒い液体(みたいな何か)を飲んで喋っているだけ。
これが本当に配信なら、見る側も配信だからと割り切って見ていられるのかもしれないが、最初からフィクションの映像作品として提示する場合、原作通りにリアルタイムで再現したら大変なことになる。未貴が何言ってるかわからないわ、あちこちで映像や音声が途切れるわで、見ていられないのではないか。
このへん、文字メディアは強い。仮に30分空白が生じたとしても、ひとこと30分経過しましたと言って次から書けばいいのだから。
冒頭では先行作との近縁関係をいくつか指摘したが、本書にはそれだけには留まらない、令和のSFにふさわしい点もある。イーガン作品などを踏まえたSF的アイデアがそうだし、何よりも動画サイトという映像メディアなくしては書かれなかった点がそうだ。
しかし、にもかかわらず、本書は映像メディアを題材としながら、映像メディアには回収しきれない文字メディアとしての強みが随所で発揮されている。このねじれ現象こそが何よりも面白い。
ちなみに私の脳内では、さくらは阿澄佳奈、未貴は小林ゆうの声で喋っています。