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20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(5)~

【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。

(5)解体される物語

(承前)私の考えでは、ここで晶穂は本書の読者に擬せられているのである。感動したの何だのと言いながら、しょせん読者とはどんなに登場人物に感情移入しようと「信じ難いほどの悪趣味」で他人の悲劇を消費する「最低最悪のノゾキ魔」なのではないかと問われているのだ。

こうした当事者と傍観者との超えがたい溝は、この後もさらに残酷なかたちで繰り返される。4巻で逃避行に出た浅羽と伊里野は、途中で吉野という中年男のホームレスとしばらく同居する。浅羽は一瞬、吉野と心を通じ合えたかのように感じる。しかし両者の関係は破局を迎え、伊里野に刺された吉野は軍に二人のことを密告するのだ。

そして最後の出撃場面。浅羽と再会した伊里野の飛行服には軍スタッフからの寄せ書きがびっしりと描き込まれている。『大丈夫 自衛軍AFF-FCS開発チーム』『ガンバレ 第一医療分隊血液管理室』『君の翼は我らが誇り 自衛軍ブラックマンタ整備チーム』などなど……。

寄せ書きを見た浅羽は思う。

 伊里野の身体を埋め尽くしている文字を見下ろす。これは、やはり呪いの言葉なのだ。書いた本人にそんなつもりは毛頭あるまい。それどころか、すべての書き込みが伊里野の勝利を願ってのものだろう。それは疑わない。
 真心からの言葉であるからこそ、それらはすべて伊里野にとっての呪詛となるのだ。
 お前は死ぬまで戦え――全人類に真心からそう呪われ続けて、何もかもすべてを背負わされて、伊里野は今日までずっと戦い続けてきたのだ。
 そして、それら連名の呪詛のなかに自分も名を連ねている。

同じ軍の中においてすら、そこに悪意や野次馬根性がなくても、こうなのである。加えて読者が感情移入してきた浅羽までもが無責任な傍観者としてカテゴライズされたのだとしたら、われわれはどんな顔をして本書を読めばいいのか。

ここに至って、浅羽と伊里野との恋愛関係がもともと仕組まれたものとして相対化されたのと同じく、「泣ける話」という本書と読者との関係もまたその構造を暴露され相対化される。

いわゆる「泣ける話」への批判はいくらでもある。

しかしこうした批判と本書が違うのは、多くの批判が外からの、あるいは上から目線の批判であるのに対し、本書が完璧ともいえる「泣ける話」を読者に提示したうえで、それを読者が受け入れた後で、トロイの木馬よろしく「泣ける話」を内側から解体していることだ。

繰り返しになるが、ドリームにせよ「泣ける話」にせよ、読者にとって気持ちのいい物語を徹底的に作り上げながら、それを完膚なきまでに解体してしまう鮮やかな手際。冷徹な視線。そして著者の覚悟。何度読み返しても震えがくる。

ではすべてが解体された先には、何が残るのだろうか。(続く)


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