20年目の〝夏の終わり〟~秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』をめぐって(2)~
【ご注意】本稿には秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、『猫の地球儀』のネタバレがあります。
(2)夏の葬列を見送って
(承前)教室で伊里野と再会した浅羽はこう述懐する。
けれども無邪気でいられた子供時代の隠喩としての夏は、8月31日の夜には、つまり物語が始まった時点ですでに終わっていた。その後の10月26日までに至る57日間は、浅羽が期待したような夏の続きではなく、作中の言葉を借りるのなら「夏の残骸」を葬る挽歌の調べに彩られている。
遊び半分で首をつっこんだ園原基地の秘密を、本当に知ってしまった浅羽を襲うのは、あまりにも苛酷で哀切な運命なのである。
戦闘機を操縦できるのは、特殊な能力を持った少年少女だけ。彼らは幼少期から人間らしい生活を一切認められず、身体を改造され、強烈な副反応を伴う薬を投与され、心身ともに極限の状態で戦っていた。そして次々と死んでいき、たった一人生き残ったのが伊里野だったのである。
浅羽との出会いによって生まれてはじめて平和な世界を知り、人間らしい感情を獲得しつつあった伊里野にも、ついに限界が来た。見かねた浅羽は伊里野と一緒に当てのない逃避行に出るが、秘密組織の榎本によって伊里野は連れ去られ、人類が滅ぶか異星人を撃退するかという最後の決戦の場へと引き出される。
出撃を拒否する伊里野を説得するよう要請された浅羽は、「伊里野が生きるためなら人類でも何でも滅べばいいんだ!!」と叫び、逆に伊里野を止めようとする。だが伊里野は浅羽の意に反して「わたしも他の人なんか知らない。みんな死んじゃっても知らない。わたしも浅羽だけ守る。わたしも、浅羽のためだけに戦って、浅羽のためだけに死ぬ」と言い残し、出撃してしまう。
これが、浅羽と伊里野の最後の別れとなった。そして人類は滅亡を免れる。
ところで、本書はラブコメからUFOネタまで(私は秋山と同い年なので、秋山の読書歴については直感でわかるところがある。例えば、文中で彼・彼女という代名詞を使わないのは『ニューロマンサー』を翻訳した黒丸尚の影響であろう)さまざまなデコレートがなされているのでパッと見気づきにくいが、秋山によれば話の骨格はいわゆる難病ものなのだという。
秋山は、冲方丁・小川一水との座談会でこう発言している。
しかし、もしも悲劇の原因が病気なのだとしたら、病気というものは人間の意志とは関係なく勝手に進行するものであるから、少なくともフィクションの中では、変な言い方だが登場人物も読者も「病気だから仕方がない」として、ある意味安心して悲劇に身を委ねることができる。
ところが本書の核にあるのは、伊里野の「病気」ではない。伊里野が「幸せでした」というまでの過程に潜む人間の企みなのである。(続く)
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