月を掬う
今日は母の誕生日。生きていれば76歳、会えなくなってから23年が経った。母との関係をきちんと書いたなら、3巻ものぐらいになりそうなほど重く長い話になるけれど、今のところそれは書く気になれない。私が20歳くらいの頃、「私のことを小説に書いてよ」と母によく言われた。自分の人生をドラマティックなものだと思っていることが鼻につき、「絶対に嫌、恥さらしなんかしない」と私は冷たく返していた。私と違い、母に愛されていた弟なら喜んで書いたかもしれないが、彼は文章というものを読むことも書くこともまったくしない。そんなふうに彼女の人生は常に拒まれ、何ひとつ望みが叶わぬまま終わってしまったのだということを、今の私はよく知っている。
こんなふうに書いていると、つい、あんなことこんなことをつらつらと話してしまいそうになる。けれども私の反抗期は続いているから、もうしばらくは母の物語は書かないつもりだ。もともとは陽気で懐こい人だったから、小さなエピソードなら、軽い気持ちで書き・読んでもらえるかもしれない。
彼女は派手なものが好きで、服もマニキュアも赤が好き、アクセサリーにも目がなかった。とはいえ実際はずっと貧しかったからわずかな物しか持っていなかった。それでも、手がきれいなことが自慢で真っ赤なマニキュアを塗り、大ぶりの石がついた指輪をいつもしていた。木製の「宝石箱」には指輪がたくさん入っていたようで、「これは私の唯一の財産だから、私が死んだら誰にも盗られないように全部あんたの物にするんだよ」と何度も言っていたけれど、私は宝石などにはまるで関心がなく、適当に聞き流していた。
春に弟が引っ越す際に、その「宝石箱」が遺品の中から出てきた。私はすっかり忘れてしまっていて、引き取ったものを帰宅してじっくりと見ながら泣き笑いした。そこには、素人が見てもすぐにわかるほどのまがい物、おもちゃといっていい指輪ばかりが20個ほどきれいに並んでいた。偽物のダイヤ、偽物のルビー、偽物のオパール、偽物のエメラルド、偽物のアメジスト……どれかひとつでも本物なら小さなマンションでも買えそうなほど大きな石なのに、その輝きは、子どもの頃に駄菓子屋で売っていた50円だか100円だかの指輪を思い出させた。
今日は墓参りに来るのを待っているかなと思ったけれど、私は予定通り朝から太極拳に出かけた。ひと月ほど前から市営体育館の太極拳教室に通っているのである(頭がとてもすっきりする)。初心者でまだ何もわからないから、見よう見まねでインチキなシャーマンのように身を動かすだけ、中国語の動作の名前も覚えられないから、師の声は念仏のように耳を通りすぎていく。
けれど最後に、「はい、月を掬って」と聞こえた。周りの人たちが床にしゃがんで両手で月をすくいあげ、そのまま上へ持ち上げて空へ逃がしている。太極拳はイメージの世界、意識すれば自分の指が相手を貫いて遥か向こうまで延びることもできる。だから月を地上に置くことも容易い。「月を掬って」という声がまた響く。皆が体育館の床に落ちた月を持ち上げて、静かに空へ返していく。
水を掬すれば月手に在り
という詩句が頭に浮かぶ。月を掬うなんて粋だな……と余計なことを考えていたら、遅れをとって月を空へ返すのに間に合わず、掬った手をそのまま胸に当てて終了となった。
石を掬すれば母胸に在り
不意に浮かんだ偽物の詩を、今日は母の「宝石箱」の片隅にしまう。