弱者である時の仕事への向き合い方
弱者の戦略、での弱者とは異なりますが、新卒で入社した会社での立場が、なかなかの弱者でしたので、その時のことを振り返ります。
制服を着た一般職で、一年間は主に伝票処理をひたすら担当していました。元々は総合職採用試験を受けていましたが、総合職で採用される能力はないけど、一般職で入って入社してから総合職転換制度を受けたら?という言葉を素直に受け止めて入社した氷河期時代。結局10年以上転換制度はなく。
ただ、見てる人はいるもので、今でも恩師としてお付き合いのある元上司が一般職だけど、総合職の仕事をしてみたら?と機会を与えてくれて(この時点では私が総合職で採用試験を受けていたことは知らない。)、そこからは、転換制度再開の時にちゃんと認めてもらえるようにひたすら仕事に邁進。
(弱者ポイント)
・一般職なので、同期とくらべると年収は軽く100万円は違うが業務は同じ
・一般職なので、お茶を出したり、電話も取り、一般職の仕事も行う
・総合職になるには、総合職より成果を上げないと認めてもらえない
と、めちゃくちゃな労働環境でした。
やらなかったら、総合職にはなれない、会社側は頼んでないから、無理しないでいいよ、君は一般職なんだから、というスタンス。
もう、ひたすら実績を作るしかないわけです。
でも若さと、悔しさと、認めてくれる人が増えていくのと、仕事が面白いのと、時間が全て自分のモノ、であったので、何とかやることが出来た訳で、弱者なりに戦い、成果を12年目に得ました。時間がかかり過ぎでした。その年に産休に入り、また、弱者としての時間が始まるわけですが。。
振り返ると、戦略も何も考えておらず、弱者だったから悔しさをばねにしていただけですが、どうしたら総合職になれるのか?よりも、なんで総合職に慣れないのか?と不満ばかり思っていたから、そんなに時間がかかったのかもしれません。
同期より担当している案件の結果も良い、件数もこなしているのに何でいつまでも総合職になれずに、給料も低いままなのか?と腐る時期も多々ありました。こんな思考ではダメですよね。
前向きに、与えられた仕事は全うするとして、困っている人がいたらその人の仕事を拾い、自分のキャパオーバーでも時間でカバーしてやりこなして、ひたすらやる、を継続していたら、面白い仕事や君に頼みたい、という仕事など、世界が広がっていきました。
ただ、その時に効率よくすることを考えるのを面倒に思い、ひたすら時間でカバーをしてしまったので、産休育休明けはまた、難題が待ち構えていましたけど。
弱者の戦略とはちょっと違う話になりましたが、弱者でいるからこそ得られるものもあったなと振り返り、今の会社でも唯一の50代、しかも未経験者として、弱者ポジション。ランチェスター戦略を学び、今一度、どう動いていくのか、考えていきます。