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神話と現代の境目へ(出雲旅その15)~たたら製鉄の地を通り抜け尾道ラーメンを探す
【前回までのあらすじ】
令和6年元旦に起きた震災で心に期するところがあった野郎二人。出雲を目指して旅することになった。しかし、時間は1月4日の夕方から5日の夜まで、約24時間しかない。「24 -TWENTY FOUR-」のように緊迫した「中国大回転」旅が今始まる。
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1月4日 福山駅→米子駅前スーパーホテル
1月5日 赤猪岩神社→清水井→境台場公園「美保関事件」慰霊塔→美保関灯台→美保神社→参道である青石畳通りと佛谷寺→「神仏の通い路」を通って島根半島を西へ横断→出雲に到着して八雲立つ下で出雲そばを食べる→出雲大社へお参り→稲佐の浜→八重垣神社へ→神社の裏にある「奥の院」へ→黄泉比良坂へ→中国地方を縦断して福山駅を目指す←イマココ
思えば今日は怒涛の如く動いてきた。
朝は米子で迎えたことが信じられない。
帰りは黄泉比良坂から宍道湖の西端まで戻り、そこから南下するルートを取ることにした。
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松江市の広さに気づく。
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美保関も、ベタ踏み坂も、八重垣神社も黄泉比良坂も全部松江市だった。
さすが「神々の国の首都」(by小泉八雲)である。
ただ市町村の面積ランキングだと163位(1741中)のため、かなり広いほうだが上には上がいた。トップの岐阜県高山市に至っては、松江市のほぼ4倍。日本は思っているより広いのかもしれない。
【道の駅たたらば壱番地の「たたら」とは】
八岐之大蛇伝説のある雲南市に入り、道の駅に寄る。
名前は「たたらば壱番地」
あの「もののけ姫」に出てくるたたら製鉄の「たたらば」だ。
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「たたら」とは風を送り込む「鞴」のことを指す。
ただ、その語源は謎が多く、サンスクリット語で熱をさす「タータラ」ではないか、とかタタール族がもたらした技術であるとか、大和言葉の「叩き有り」ではないかとか言われている。
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雲南市や奥出雲では、土壌の鉄が豊富で、燃料となる木材が豊富にあった。
「もののけ姫」では山を削るたたら製鉄に神々が怒っていた。中国地方のたたら場を舞台に、鎮西(九州)の乙事主率いる猪神たちと現地の森の神々の連合軍と、銃火器で武装した人間が衝突する。
たたら製鉄とは島根県だけで行われていたわけではなく、明治までは日本中の製鉄は「たたら製鉄」が担っていた。
鉄は日本刀になり、後には火縄銃となった。
火縄銃を量産していた近江国では「出雲の鉄は最良」と讃えられている。
そういえばヒットした日曜劇場のVIVANTでも主人公のルーツが奥出雲の「たたら製鉄御三家」でしたね。
【「鷹の爪団」吉田くんの故郷】
実はここ吉田町は「鷹の爪団」の吉田くんの故郷なのだという。
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ふてぶてしい顔をした雲南吉田くんのパネルが出迎えてくれた。
大学時代に吉田くんの声マネをよくしたものだった。
それにしても午後7時30分頃だったが道の駅の店は全部閉店。
自販機しか無く、腹が減っても食べるものは無い。
「たたらば」のロマンを語っただけで早々に出て、先を急ぐことになった。
【尾道ラーメンを食べたいのにどこも開いてない!】
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私は地元に近いこともあって、尾道が好きだし、尾道ラーメンが好きなのだ。
東京で尾道ラーメンを見つけるのは難しいが、お好み焼き屋が昼だけ出す尾道ラーメンを目当てに行くくらいには好きだ。
背脂チャッチャ系というのが似てるのかと思ったら、似て非なるもので下品な背脂に腹が痛くなったものだった。
やっぱり尾道ラーメンですよ!
クレソン後輩にも尾道ラーメンの魅力を語っていたら「ぜひ尾道ラーメン食べましょ」と乗ってくる。
運転している自分に代わって、クレソン後輩に店を探させるのだが1月5日という時期もあって全然店が開いていない。
完全に尾道ラーメンの頭になっていたから参った。腹はペコペコである。
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しかも疲れたクレソン後輩がパニクって、無茶苦茶なナビをした結果、橋を渡って向島に渡り、もう少しで因島まで行くところだった。
海を渡るとは思わなかった。
【福山で中華料理を食べて解散】
時間も時間なので諦めて福山駅に向かう。
駅近くの「ぎょうさと中華そばの店天津」が開いていた。
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中では昭和感のある親父さんが一生懸命に料理を作っていた。
出前のお願いなんかもガンガン来るし、作っているのは親父さん一人で本当に大変そうだった。
名物の餃子やら豚足、ラーメン(尾道ラーメンではない)をそれぞれ頼む。
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派手ではない。気取らない。だが、これでいい。
「これでいいんだよ」「これだよ、これ」感のある中華料理は心まで満たされるものだった。
ただ、TVには能登半島の被害が映されていて、目が釘付けになった。
美保関でもいろいろと考えさせられたが、何かできないだろうかと考えさせられる。
3月末に石川県に少しではあるが支援活動に行くことになるのだが、これはまた別の話し。
【旅の終わり】
クレソン後輩を駅前の宿泊所に送って、これにて出雲の旅は終わり。
最初から最後まで神話と現代の境目が曖昧になってくるような旅だった。
今でも神話が生活に結びついていることを感じた。
「神話」を「嘘」のような意味で使うことがあるが、出雲では「神話」とは「現実」なのだ。
今のタイミングで行けて本当に良かった。