#38 子どものころに得た無形資産について考える②【レジャー・遊び編】
11月のジブン株式会社ビジネススクールで、子どものころから現在に至るまで、自分が得た無形資産についてまとめてみましょう。という課題が出されました。
こちらの2時限目(チャプター3)です。
前回は習い事について考えてみました。
今回は【遊び】について書いてみます。
【旅行】
私の実家は毎年必ず旅行に行くような家庭ではありませんでした。それは母が一人で小売店を営んでいて忙しかったことと、兄弟3人が3つずつ年が離れていて私と一番上の兄の年が6つ離れていたので、うまく予定が合わなかったからだと思います。
そんな数少ない旅行の中で印象的だったのが沖縄旅行でした。当時一番上の兄が高校生、下の兄が中学生、私は小学生でした。今の時期を逃したら一生家族旅行にいけないと考えた母が親戚を誘って沖縄旅行を計画しました。
その後家族で旅行をしたことはないので、母の予想通り最初で最後の家族旅行となりました。
初めての飛行機。しかもストライキで予定と違う便に乗ることに。
私の住む地域ではこたつがないと過ごせないほど寒い3月に半袖でよい沖縄の気候。
星の砂とよばれる白い砂。
国際通りで買ったお土産。
観光バスが停車している時にバスガイドさんと運転手さんが沖縄の言葉で話す(全く聞き取れない)世間話。
イカの刺身のような味のココナッツの果肉。
ドキドキしながら食べたサボテンのアイス。
アッという間に勝負が決まったハブとマングースの闘い。
豪華なホテルの食事。
首里城、ひめゆりの塔、琉球ガラス村などの当時の主要な観光地も行きましたが、五感で感じた様々なことがとても印象に残っています。
この時に沖縄に行ったことで沖縄が好きになり、大学生の時に2回ほど一人で沖縄旅行をしています。
【ファミコン】
私が小学生の時にファミコンが発売されました。兄たちがどうしても欲しいと母に頼み、自分たちの貯金(お年玉をためていたもの)で買うならいい。と言われたため、よくわかっていなかった私もいくらか出すことになりました。
初めて、スーパーマリオをプレイした時の興奮はとても印象に残っています。
ファミコンは自分でやることももちろんありましたが、兄がやっているのを見ることも多かったです。特にドラクエは兄がやっているのを横で楽しみながら見ていたのですが、ある日(学年行事などで)私より早く帰った兄がドラクエを一人で進めてしまい、私はストーリーが全く分からなくなりとても残念だったのを覚えています。
自分だけでドラクエをプレイしたことも多く、ドラクエ4は特に何度もプレイしました。
大人になり出産前の産休の時に自分ではプレイしたことのなかったドラクエ3をプレイしましたが、子どもの時のようなワクワクはありませんでした。何度もやりたくなる、レベルを上げるのも楽しい、呪文や道具なども覚えてしまう、あの楽しい感覚は子どもだから得られたのだと感じました。
子どもの時に熱中する体験って本当に大切なのだと今は特に感じています。
【マンガ】
私は兄の影響で少年ジャンプをずっと読んでいました。兄が購入しなくなってからも自分で毎週買っていました。特に「るろうに剣心」と「封神演義」が好きで単行本を全巻揃えていました。
発売日の火曜日(または月曜日)をワクワクして待っていましたし、マンガから多くのことを学びました。
友だちとその週のマンガの内容を話したり、単行本を貸しあったり、一緒にマンガのグッズを売っているお店(当時は遠くにしかなかった)に買いに行ったり、本当に楽しくすごすことが出来ました。
スラムダンクが映画化された時に懐かしくて単行本を全巻購入して読みましたが、やはりドラクエの時と同じで子どもの頃のような熱量で読むことは出来ませんでした。
子どもの頃に夢中になる体験は大人になってから同じ感覚は得にくということを実感しています。
【人形遊び】
母の「お人形遊びをするような女の子は好きではない」というなぞの方針で
当時流行った着せ替え人形のジェニーちゃんは買ってもらえませんでした。きっと着せ替え人形がほしいと私が言っていたからのだと思うのですが、おじの結婚式の花束贈呈をしたの時のお礼で(ジェニーちゃんではない)着せ替え人形をもらいました。
すごく嬉しくて友達とよく遊んでいました。
当時、祖母から足踏みミシンの使い方を教えてもらった私は人形の服をミシンで作って遊んでいました。服の作り方を知らず、母も忙しくて教えてくれなかったためTシャツの形に切った布をただ縫い合わせるというへんてこな服でしたがミシンで作るのはとても楽しかったです。今でもきれいには出来ないけれどミシンを使って子どもの袋を作ったり布団カバーを作ったりするのが好きなのはこの時の人形遊びが影響していると思っています。
【一輪車】
私が小学生の時に一輪車が流行りました。小学校の帰りの会の終了が隣のクラスより遅いと一輪車では遊べないくらい放課後にみんなで取り合いをして乗っていました。私は運動が苦手なのでなかなか上達しませんでしたが、ある日突然乗れるようになりました。一輪車は私にとってとても楽しい遊びで、学年があがるにつれて友達が一輪車に飽きて違う遊びをしていてもずっと乗っていました。
当時祖父が一輪車を兄弟全員に買ってくれたこともあり、家の庭でよく乗って遊んでいました。
【自然の中での遊び】
実家は田舎にあるため、春になるとふきのとう、よもぎ、つくし、れんげを取りに行き母に料理してもらいました。
夏は自宅の畑で作ったとうもろこし、じゃがいも、きゅうり、トマトなどをラジオ体操の帰りに取ってそれを朝食として食べたりしました。
秋は自宅の柿の実や栗の実を取って食べたり、いなごをつかまえて母に料理してもらったりしました。
ふきのとうを取って母に渡すと「みちのおかげで季節を感じることが出来るわ。」と言われたことがとても嬉しかったです。
この時の経験は今の私の仕事である栄養士(栄養教諭)を目指す土台の1つになっていると感じています。