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『東南アジア式「まぁいっか」で楽に生きる本』の感想

今日は、Audible聞いた本の感想を書こうと思います。ずっと興味のあった野本響子さんの『東南アジア式「まぁいっか」で楽に生きる本』を聞き終わりました。


野本響子さんをはじめて知ったのは2年前のVoicy Fesでした。どなたと対談をしていたかは記憶がありませんが、「よく見かけるこの人がどんな話をするのか聞いてみたい。」と思い対談を聞きました。
プレミアムリスナーにはなっていませんが、私がvoicyでフォローしている数少ないパーソナリティさんの1人です。

この本は海外に行って現地の人の考え方に触れて、「こういう思考もありなんだ」と身をもって知ることがよいと思いつつ、海外に行く時間も現地の人と話す機会もない人に向けて書かれています。
この本を聞いて思ったこと、考えたことを書いてみます。

〇便利になると窮屈になる?
日本は電車も時間通りに来るし、道にごみもあまり落ちていません。ネットで注文したものは1,2日程度で届くし、ミスなく完璧な状態のものが多くあります。
マレーシアでは遅刻はあるし、断水もする、役所でトラブルがあっても急いで復旧しようとあたふたしている姿はないそうです。
本の中でも書かれていましたが、日本も昔はごみが落ちているなど、今のように「ちゃんと」していなかったそうです。
これはかつて日本も「まぁいっか」という気質だったのに、便利を追求した結果、ミスが許されない窮屈な社会になっていったのか。そもそも昔から日本は「ちゃんとしなきゃ」が根付いていたのか。どちらなのか気になりました。
もし前者であればマレーシアも今後便利になることを選んで窮屈な社会になってしまう可能性もあるということです。
便利さを追求すると他人に寛容でいられなくなるのだとしたら、便利なことがいいのか寛容なことがいいのか考えてしまいました。

〇「議論」のゴールは「論破」ではない
日本での議論は勝ち負けがあるように思います。私は大学の時に授業でディベートをしたことがあるのですが、負けず嫌いな同級生がとにかく負けを認めない姿勢で自分の意見を押し通していて、すごく嫌な気持ちになりました。
しかし、この本で「議論は理解を深めるためにする」とあり、すごく納得しました。
ちきりんさんと木下さんが違う意見で議論していても感情的にはならないし、むしろ「そういう意見があるのか」とお互いが学んでいるように感じました。まさしくこれは「議論は理解を深めるためにする」ということだと思いました。
議論が勝ち負けであると相手の揚げ足をとることばかり意識がいき、本質にふれずに嫌な気持ちのまま終わってしまいます。本当の議論は理解を深めるためにするのであるなら、自分の意見を持っていなくてはいけませんし、相手の意見を聞く姿勢が必要になります。
なかなか議論出来る相手がいませんが、論破するのではなく理解を深めるための議論をしていきたいです。

〇他人を放っておくことの重要性
正解がなく優劣がない社会は他人をジャッジしない社会だそうです。多様な生き方がある社会では自分にとって理解出来なくても他人を放っておくことが大切です。確かに日本では正解と思われているものがあり、そこからはずれると本人も周りも心配になるし他人が口出しもしてきます。
理解出来ないことは理解できないまま放っておく、というすごく単純なことがなぜか出来ないのです。私も心あたりがあります。これは日本のように同一性が高いと周りと比べて気になってしまうのでしょうか。でも、日本にいても他人を放っておける人がいます。
「自分の仕事に集中せよ」という言葉の通り、他人ではなく自分のやることに集中することで他人を放っておくことが出来るようになるのだと思います。

「おわりに」で述べられているグローバルとローカルのいいとこどりが出来る日本になっていってほしいと思います。ただ、そのためにはグローバルにはどんな価値観があるのか、自ら学んでいく必要を感じました。

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