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「子どもの世話にはならない」と言うけれど
知り合いの高齢女性は70代で夫を亡くし、それ以来一人暮らしをしています。ずっと専業主婦でしたが夫の残した遺産で暮らし、80代の今も同世代の友人と食事やショッピングを楽しんでいます。男の子が二人いますがそれぞれ離れて暮らしており、めったに会わないようです。「男の子は何もしてくれないからだめね」と言います。そして「子どもの世話にはならない」と言います。
そんな彼女が自分より若い周囲の人にしきりに言うようになりました。「何かあったらお願いね」と。言われた人は一様に戸惑った様子を見せます。「何かあったらって、自分が亡くなったらっていうこと?」「世話が必要になった時のこと?」「お願いねって言うけど何を?」「息子たちがいるのに何で私たちに?」「お願いされても困るんだけど」そんな声が聞こえます。
「子どもの世話にはなりたくない」と言う人は少なくありません。私もできれば子どもに負担をかけたくありませんし、そのつもりもありません。でも少なからず負担をかけることにはなってしまうのだろうと思っています。子どもたちもそれは覚悟しているようです。私はまだ夫と二人で生活していますが、どちらが残されても最後はどのようにするか、子どもたちも含めて話し合っています。
子どもの世話になりたくなくても世話にならざるを得ないこともあるでしょう。自分に世話が必要になったときどうするかを元気なうちに考えておくことは重要だと思います。でも、次のように考えている人も少なくないようです。
「その時はそのとき、成り行きに任せる」
「誰かがどうにかしてくれるだろう」
「考えても仕方がないから考えない」
「子どもに迷惑をかけるつもりはない」
「ピンピンコロリで死ぬから大丈夫」
「施設に入るつもり」
「子どもの世話にはなりたくない」そんな言葉の背後には人々のいろいろな感情が渦巻いているように思えます。以下の記事を読んでみなさんはどう思われるでしょうか。